アニメ『未来少年コナン』の感想 – スゴすぎて見れなかった大傑作

未来少年コナン
出典:amazon
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作品データ

監督:宮崎駿
原作:アレグザンダー・ケイ
脚本:中野顕彰、吉川惣司、胡桃哲
出演:小原乃梨子、信沢三恵子、青木和代、永井一郎、吉田理保子、山内雅人、家弓家正
制作:1978年、日本

あらすじ(ネタバレなし)

西暦2008年、核兵器を超えた威力を持つ「超磁力兵器」が用いられた最終戦争が勃発。
五大陸は変形し地軸も曲がり、多くの都市が海中に没した。

戦争から20年後、「のこされ島」と呼ばれる小さな島で、コナンは「おじい」と二人で平穏に暮らしていた。
「おじい」は最終戦争の生き残りで、コナンは戦後、島で生まれた子だった。

ある日、海岸にラナという少女が漂着する。
彼女はハイハーバーという島で暮らしていたが、科学都市インダストリアの者たちにさらわれ、隙を見て逃げ出したのだった。
コナンとラナはすぐに仲良くなる。

しかし、インダストリアの行政局次長・モンスリーたちがやってきて、ラナは再び連れ去られ、おじいはラナを守ろうとして命を落とす。

コナンはラナを救うため、島から旅立ってゆく。

『未来少年コナン』の感想

私にとってコナンといえば『未来少年コナン』だが、最近の人にとってコナンというと名探偵なんだってね。
初めてあちらのタイトルを見たとき、コナンの名前を使い回すなんてアコギな漫画だなあ、と思ったのだが、あちらはコナン・ドイルからとったんだとわかって納得した。

初っぱなから無駄話し。

子供の頃に私が『未来少年コナン』をついに見なかった理由

80年代、テレビをつけたらたまたま『未来少年コナン』がやっていた、という経験を私は3度している。

1度目は最初の方の、のこされ島でのシーン。
2度目はギガントのシーン(これはぶったまげた)。
3度目は80年代後半にアメリカ旅行をしたとき、ニューヨークのホテルで何気なくテレビをつけたら『未来少年コナン』の最終回がやっていた。

けっきょく『未来少年コナン』を全話通して見るのは90年代に入ってレンタルビデオで借りるまでおあずけになるのだが、それでもこのアニメを断片的に目にした子供の頃の印象は強烈に覚えている。

なにが衝撃的だったかって、『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』の絵柄で、SFっぽい物語が進行しているのだ。
それっぽい小屋や自然の風景があるのに、最新のロケットの残骸のようなものが丘に刺さっていたり、見たこともないような飛行機などが出てきたりする。
そのSF的なメカと世界名作劇場のテイストが合体したような不思議な光景にしばらくあっけにとられた。

そのあまりの斬新な作風に、逆に私はこのアニメを見ないことに決めたのだ。
「こんな斬新なアニメ、きっと最初から見ないとストーリーがわからないに違いない、いつか再放送がはじまったら、第1話からちゃんと見よう」
当時の私はそう思ったのである。

創作物はあまりにもスゴすぎると、最初からしっかり見ないといけない、途中から見てしまうなんてもったいない、と思ってしまうのだ(近年では『四畳半神話体系』が私にとってこのケースにあたる)。

『未来少年コナン』はその出来の良さに比べてあまり視聴率がふるわなかったと聞いたことがあるが、その原因はその斬新さにあったのではないかと私は思っている。

これが普通のアニメだったら、ジャンルと雰囲気で「だいたいこんな感じのストーリーで、今はそのストーリーのこのあたりを進んでいるんだろう」と感覚的に思えるものだからだ(だいたい子供の頃に見ていたアニメできっちり第1話から見はじめたアニメの方が少ない)。

↓ここから先はネタバレあり↓

未来少年コナン

なんとなくこのポスター、笑える。(出典:imdb

Bitly

すべてに宮崎節が炸裂した傑作

かつてタランティーノが「処女作にはその作家のすべてが込められていなければならない」と言ったが、後年の宮崎アニメに出てくる卓越したアクション描写、空間描写はもうここにぜんぶ出てくる。
また、きめ細やかなキャラクターの人間描写が素晴らしい。

例えば第3話でおじいを亡くしたコナンの悲しみかた。
コナンは島でおじい以外の人間を見たことがない。
親しい者の死に出会ったのも初めてだし、悲しみかたも知らない。
そこでひたすら、おじいの墓を作るために、大きな石を持ち上げてブン投げはじめる。
しかしそれでは内側から湧き上がってくる悲しみに見合わないから、どんどん持つ石が重くなってゆく。
それをぶっ倒れるまでやって、スヤスヤ寝て起きたときは、もう未来に目が向いている。
未来少年と言われる所以なのだ。

ちなみにインダストリアの地下にコナンのおじいに似た人がいた件だが、これは頑張っているコナンに捧げられた、神様からの(つまり宮崎駿からの)プレゼントなのだと思う。
嬉しそうなコナンの顔を見たら、もうそれ以外の解釈はいらんと思う。

レプカの悪党ぶりを分析

このアニメにはレプカという悪役が出てくる。
レプカは何がどう、悪党なのか? という問題だ。

ラナに酷いことをしたり、コナンに酷いことをしたり、偉そうに人に命令したり、人を見殺しにしたり。
それはもちろん悪役描写の定石だが、彼の真の悪党たるところのものは、そこではない。

このレプカは人類を滅亡寸前にまで追いやった人間の生き残りみたいな男で、彼が太陽エネルギーのような強大なエネルギーを持つとまた人類は同じ過ちを繰り返すことになる危険性があるから、彼が行政のトップに居座っている限り、うっかり太陽エネルギーを開陳することができないでいるのだ。

いわばレプカというロックを外さないことには、エネルギー問題の解決に向かってまわりの人間たちは動けないという図式があるのである。
この図式がインダストリアの改革を遅らせる原因となり、結局インダストリアの民を危機に追いやることとなった。

エネルギー問題は文明社会にとっていつも大きな課題で、その利権を握る者はその文明において強大な権力を握ることができる。
『アイアン・スカイ』という映画で、月面にヘリウムが豊富にあるとわかるや否や、いきなりアメリカ大統領が「それは我が国のもの」と主張し始め、それまで平和に向けて話し合いをしていた世界首脳会議の席が醜い大乱闘の場へと一変してしまうという描写があった。
レプカはいわばああいうやつらの生き残りなのだ。

レプカさえいなければ、そんな権力欲のない博士たちが早々に太陽エネルギーを稼働させて、さっと後始末だけして処理したであろう。

最終戦争の痛々しい痕跡が息をしているような男、それがレプカなのだと思う。

未来少年コナン

ギガントとは、ギリシャ神話に出てくる巨人の名前。
オリュンポスの神々と戦い、ヘラクレスによって皆殺しにされた。
(出典:imdb

コナンのお尻がピンクに光る件

最後は余談になるが、ちょっと英語の話題。

今回『未来少年コナン』を見返して、「あれっ」と思ったことがあった。
コナンが尻を叩かれて、お尻がピンク色に光る描写がある。

実は英語には「pink belly(ピンクのお腹)」という熟語があるのだ。
お腹を掌で叩かれて、赤くなる、その状態を「pink belly」というのである。

以前『Cheers』という1982年のアメリカのシットコムを見ていたら、「We’d have given you a pink belly that glowed in the dark.(暗闇で光るピンクのお腹にしてやったところよ)」というセリフがあったのを思い出したのだ。

この、叩かれた部分が「ピンクになる」だけでなく「光る」というユーモアは、80年代の『Cheers』のオリジナルだと思っていたのだが、今回1978年のアニメ『未来少年コナン』を見直していて、それよりも古い時代に宮崎駿がこのユーモアを描写として使っているのを見て驚いたわけだ。

叩かれた部分が「ピンクに光る」ってのはもっと古い元ネタがあるのか、それとも偶然の一致なのか。
どうでもいいことなんだけど、ちょっと気になるので、誰かご存知の方がおられましたらコメント欄ででも教えてください。

評価

アニメ史上最高レベルのデビュー作と言えるんじゃないでしょうか。
★★★★

Good Movie 認定


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