映画『ポゼッション』の感想と考察 – 原作は葛飾北斎!?

映画『ポゼッション(1981)』アンジェイ・ズラウスキー監督
出典:imdb
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作品データ

原題:Possession
監督:アンジェイ・ズラウスキー
脚本:アンジェイ・ズラウスキー
出演:イザベル・アジャーニ、サム・ニール
音楽:アンジェイ・コジンスキー
制作:1981年、フランス・西ドイツ

あらすじ(ネタバレなし)

単身赴任から帰ってきたマルクは、妻のアンナの様子がおかしいことに気がつく。
どうやらアンナはマルクの不在中に浮気をしていたらしい。

アンナの友人マージからアンナの浮気相手ハインリッヒなる人物を突き止めたマルクだが、どうやらハインリッヒ以外にもアンナは秘密があるらしい。

マルクは探偵を雇い、アンナを尾行させるが、探偵は行方不明になる。

アンナの奇行は激しさを増し、マルクは恐るべき事実に近づいてゆくのであった。

『ポゼッション』の感想

大学の頃に大好きだったアンジェイ・ズラスキー監督の最高傑作。

それと同時に、『ノスフェラトゥ』と並ぶイザベル・アジャーニの最高傑作でもある。
インド女優マドゥーリ・ディクシットの最高傑作が『アンジャーム』だとはなかなか言い難いものがある私でも、これは自信を持って言える。

それにしてもこの頃のイザベル・アジャーニは出演作の半分くらいで発狂していた気がするな。
『殺意の夏』『アデルの恋の物語』等々・・・。

私がこの映画を初めて見たのは30年前。
アメリカに住んでいた時にレンタルビデオで借りて見たのだが、アメリカはこれをストレートなエログロ・ホラーとして売りたかったらしく、意味深なアート性の高いシーンはすべてカット。
尺は90分以下に縮められ、ズタボロに切り刻まれたバージョンでの鑑賞が私にとってのこの映画の初見だった。
(オリジナルは124分だから、実に30分以上もカットされていたことになる)

のちに日本に帰ってレンタルで正式なバージョンを見たときの感激といったら。
誰が何と言おうとこれはホラー映画であり、同時にアート作品でもあるのだ。

随所にズラウスキー節がしっかり効きまくっているところがいい。
ハインリッヒがマルクをボコるシーンの「あの」ポーズとか、アンナが出ていくときにドアを間違えるところとか。

↓ここから先はネタバレあり↓

この映画はクライマックスを見れば、かの葛飾北斎が描いた、巨大なタコが全裸の女性とからみあっている画、あれをモチーフにした作品だということは疑いがない。

創作というのは、ストーリーのどこかある1点が先に頭に浮かんで、そこからすべての世界観や物語が広がってゆく、という作り方をすることがままある。

これを手法としてあえて意図的に行う場合もあって、例えば北野武監督の『アウトレイジ』という映画など、殺人シーンを先に考えて、それが出てくる過程を考えることでストーリーを組み立てていった、みたいなことを北野武監督がコメントしていたのをおぼえている。

よくあるのは、クライマックスの一大スペクタクルが頭に浮かんで、そのシーンへと至る過程を考えることがすなわちストーリー作成の工程そのものになるというケース。

この映画はそれをやったのではなかろうかと私は推測しているのだ。

つまりヨーロッパの前衛的な感性が、北斎の春画をクライマックスに見立ててストーリーを組み立ててゆくと、こんなふうになるのである。

また、そのタコと絡みあう女性がイザベル・アジャーニだなんて、なんという贅沢品だろうか。

もちろん、それだけの映画ではない。

ヨーロッパではタコは悪魔だという。
つまり北斎の春画とヨーロッパの悪魔憑きのモチーフを絡めたところがまずこの映画の斬新な点。

また、ズラウスキー監督が奥さんに実際に浮気された経験もストーリーに活かされているのだと聞く。

ズラウスキーの『ポゼッション(1981)』と葛飾北斎の『蛸と海女』の比較

葛飾北斎『蛸と海女』(左)と『ポゼッション』(右)構図までそっくり
(出典:imdb

映画の途中、女のだらしなさについてグチるマルクに対して、幼稚園の先生のヘレンが邪悪なモノについて語るくだりがある。

I come from a place where evil seems easier to pinpoint because you can see it in the flesh. It becomes people so you know exactly the danger of being deformed by it. Which doesn’t mean I admire your world. But I find pathetic these stories of women contaminating the universe.
(わたしが元いた場所では、邪悪なモノはひと目みてすぐにわかりますの。見た目にはっきりあらわれるからですわ。それが人間と同化してしまうものですから、取り憑かれると危険なんです。だからと言って、あなたがたの世界が素晴らしいとは思いません。おっしゃるように、淫らな女性たちがこの世を汚しているというお話しには同情します)

この映画ははっきり言ってよくわからないところが多いのだが、つまりヘレンは、「邪悪な存在が人間に取り憑いて人間と変わらぬ姿になってしまう」というようなことが、この都会では起きている、そして「女が淫らな行動に走るのは、ひょっとしたら邪悪なモノに取り憑かれているのかもしれない」ということを遠回しに言っているのだ。
(それと同時に、ヘレンは自らが人間じゃないことを暗に示しているセリフだとも言える)

人間が邪悪な存在に取り憑かれる。
つまりそれがアンナに起こっていることであり、やがてその内訳はやがてアンナ自身の言葉によってこんなふうに語られる。

わたしの中には“善”と“悪”、2人の姉妹がいる

映画『ポゼッション(1981)』イザベル・アジャーニ主演

どう考えても人間じゃないヘレン先生(出典:imdb

そしてこの映画最大の衝撃シーンがおとずれる。
アンナが地下鉄で牛乳をぶちまけ発狂するところ。
(何気にクライマックスではない)

私は30年前に初めてこの映画を見たとき、てっきりこのシーンはアンナがタコの化け物を産み出すシーンなのだと思っていた。
ところがその後のアンナのモノローグを見ると、ちょっと事態は複雑である。

あのときわたしが流産したのは、“善”の妹。残ったのは“悪”の妹

つまりあのシーンはアンナが化け物を産み落としたシーンなのではなく、自分のカラダから“善”を排出し、淫らな悪の部分だけが残ったということなのだ。

最後はタコがマルクに成って、ヘレンのところへ行く。
子供は風呂場で自殺し、ヘレンは何か覚醒したように微笑む。
世界には空襲のような不穏な音が鳴り響く。

すべての黒幕はヘレンだったのであろうか。

つまりヘレンは優しい女性の姿に化けた魔物であり、アンナの肉体に淫らな精神を召喚して邪悪な存在を創造したのかもしれない。

解読する気にもならないくらい投げっぱなしのラストだが、先に言及したヘレンの意味深なセリフと照らし合わせると、考え深いものがある。

評価

ホラーとアートを融合させた作品としては映画史上最高レベルの傑作。
★★★★★

Good Movie 認定

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