映画『レディ・プレイヤー1』の感想 – 管理社会じゃなくて経済格差

レディ・プレイヤー1
出典:imdb
この記事は約6分で読めます。

作品データ

原題:Ready Player One
監督:スティーヴン・スピルバーグ
原作:アーネスト・クライン
脚本:アーネスト・クライン、ザック・ペン
出演:タイ・シェリダン、オリヴィア・クック、ベン・メンデルソーン、T・J・ミラー、サイモン・ペグ、 マーク・ライランス
制作:2018年、アメリカ

ストーリー(ネタバレなし)

荒廃した近未来。
スラム街で暮らす一般の人々は、「オアシス」というVR世界のゲームで現実逃避をしていた。
オアシスの創始者ジェームズ・ハリデーが死んで、ゲームの勝者にオアシスの所有権と5000億ドルの遺産が授与される、という遺言が残された。
オハイオ州コロンバスのスラム街に住む若者ウェイドは、仲間と共に、ゲームに挑んでゆく。
しかし彼らの行手には、オアシスの独占を目論む大企業IOIの社長ノーラン・ソレントの陰謀が立ちはだかるのであった。

『レディ・プレイヤー1』の感想

前評判ではメカゴジラとガンダムが戦うだとか、キングコングが邪魔するなか『アキラ』のバイクと『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のデロリアンが疾走するだとか、話題になっていた。
それで私はすっかり特撮・アニメ系のキャラクターやアイテムがぞろぞろ出てくる映画なのかと早とちりしていたが、違った。

『シャイニング』やチャッキー(チャイルド・プレイ)などのホラーもあれば、三船敏郎や『影武者』などのコスプレも出てくる。
ジョージ・マイケルやらジョーン・ジェットやらデュラン・デュランやら、80年代ポップミュージックも流れまくる。
『サタデー・ナイト・フィーバー』のダンスもある。
ようするに、サブカル&ポップカルチャー「全部」なのだった。

レディ・プレイヤー1

遊び心たっぷりのパロディ宣伝ポスター集(出典:imdb

舞台は未来のアメリカ。
一般市民が中国の貧民街みたいなところに住んでいて、そこに住む貧乏な人たちが現実を諦めてゲームの世界で楽しんでいる。
ゲームの点数で社会的なポジションが決まる、みたいな管理化は進んでいないというか、そのテの設定ではない。

このあたりの、“管理社会”じゃなくて“格差社会”、というテーマの選択に『時計じかけのオレンジ』の時代から映画を見続けている私としては時代の流れをしみじみ感じさせる。
ソビエト崩壊が遠い過去のものとなり、資本主義の限界が取りざたされるようになった現在では、社会問題のメインは人間が管理化されることじゃなくて、経済格差になったのだ。

ただ管理する側が政治権力から一部の経済的強者になって、その管理の仕様が変わっただけで、本質は同じである。
『時計じかけのオレンジ』に「人々は穏やかな生活が保証されてさえいれば、自由さえ放棄してしまう(They’ll sell liberty for a quieter life)」というセリフがあったが、この「穏やかな生活」を「ゲーム」に、「自由」を「豊かさ」に入れ替えたら、この映画の状況に当てはまる。
ようするに「富は私たちが独占するから、あなたたちはせいぜいゲームやって楽しんでなさい」って話しだ。

まあそんな感じで、プレイするゲームがほぼ一社独占みたいな状態で、すべてのゲームが現在のインターネットみたいに統一規格でつながっているという状況。
例えばあちらでシューティングゲームをやってる人がいて、こちらでレースゲームをやってる人がいて、それら双方がゲームの世界で見学し合ったりコミュニケーションをとったりお友達になったりできるわけだ。
この「一社独占」という設定がストーリー上で、格差社会の構図とバーチャルな世界観との両翼を演出している。
ここらへんの設定はなかなかうまい。

この巨大ゲーム会社の創始者が死んで、彼の遺言により、ゲーム上で3つの「鍵」アイテムをゲットした者がゲーム会社の資産をすべて手にできることとなった。
この一般市民に一発逆転のチャンス到来、というところからストーリーは動きはじめる。

レディ・プレイヤー1

デロリアンに襲いかかるキングコング(出典:imdb

ストーリー自体は大したことないのだが、なんといってもその過程におけるバーチャル世界と現実との絡ませ方、それとバーチャル世界の中での各キャラクターの繋がり方がおもしろい。

ストーリー的にはそれ以外にあまり工夫がなく、肝心の「鍵」を探す謎はゲームの達人なら思いつきそうなレベル(逆走とか、あれだけいたら後2〜3人くらい気づこうよ)もしくはプログラマー本人じゃないとわからないくらい難易度高すぎるかのどちらか。
しかし、バーチャルの世界観だけでも十分楽しい。

やはり私がいちばん燃えたのは先に言及したガンダムvsメカゴジラ。
ガンダムの登場シーンで、しっかり「あの」ポーズを取ってくれるところが嬉しかった。
ハリウッドのCGで(しかもスピルバーグ監督で)ガンダムが見れるなんて、もう私このシーンだけでいいや、と思ったくらい感激した。

あとおもしろかったのが『シャイニング』のシーン。
スピルバーグは、天国で盟友キューブリックが見て笑っている顔を想像しながら撮ったんだろうな、というのがありありと感じられる取り入れ方だと思った。

これだけ盛りだくさん楽しませてくれて、最後の最後はなんと古臭い人類史上初のビデオゲーム。
このあたり、私はゲームをやらないが、なんだかゲーム好きの魂みたいなものを感じた。

ちなみにこのシーン、おもしろいことに、バーチャル世界の中でアバターがテレビ画面を見ながらコントローラーを操作するのである。
こういうインターフェースを現在のスマホとかタブレットのタッチパネルにキーボードが出てくるみたいな概念の延長線上にあるのだと考えると、こんな未来も来るべき世界なんだなあとしみじみ感じさせる。

レディ・プレイヤー1

出典:imdb

先に言及した経済格差の社会問題の部分だが、しっかり効いているのは世界観のみで、ストーリー的にはあまり深く突っ込んではいない。
基盤にだけメッセージ性を反映させたら、あとは結末のカタルシスを残して単純なファミリー向けの冒険活劇に陥るというのが80年代からのスピルバーグ映画の定番だから、もうスピルバーグ映画はこういうものだと思って楽しむ他ない。

スピルバーグはいつもこうだから、だいたい『プライベート・ライアン』みたいなメッセージ性が色濃く出たものは前半の方がおもしろく、この『レディ・プレイヤー1』みたいなエンターテイメント性の高い作品は後半の方がおもしろいのだ。

最後に、ちょっと気になるのは邦題。
日本語で「レディ」という言葉は「淑女(lady)」というイメージのほうが強いから、こういう言葉を外来語で訳す場合は別の表現に逃げるべきだと思うのだが、日本の配給会社はどうして気にしないのだろうか。
普通の日本人ならパッと見「女性のプレイヤー」という意味だと感覚的に受け取ってしまうと思うのだが(実際はreadyなわけで)。
ここまでメジャーな映画になると、タイトルの印象なんてどうでもいいのかな。
英語の勉強ブログなんてやってると、どうもこういうところが気になってしまう。

レディ・プレイヤー1

出典:amazon

評価

バーチャルな世界観とそのストーリーへの絡ませ方がおもしろかったです。
★★★★★

Good Movie 認定


『レディ・プレイヤー1(字幕版)』を見る
『レディ・プレイヤー1(吹替版)』を見る

コメント

タイトルとURLをコピーしました