映画『GODZILLA ゴジラ』の感想 – 一番やっつけたのは・・・

GODZILLA ゴジラ(2014)
出典:imdb
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作品データ

原題:Godzilla
監督:ギャレス・エドワーズ
原案:デヴィッド・キャラハム
脚本:マックス・ボレンスタイン、フランク・ダラボン、デヴィッド・キャラハム、ドリュー・ピアース
デヴィッド・S・ゴイヤー
出演:アーロン・テイラー=ジョンソン、渡辺謙、エリザベス・オルセン、ジュリエット・ビノシュ、サリー・ホーキンス、デヴィッド・ストラザーン、ブライアン・クランストン
音楽:アレクサンドル・デスプラ
制作:2014年、アメリカ

あらすじ(ネタバレなし)

日本の原発で不可解な地震が起きて、原子炉が暴走し、核物理学者ジョー・ブロディの妻サンドラが命を落とす。

それから15年間、ジョーは地震の原因をずっと調査していた。

ジョーは息子のフォードと一緒に立ち入り禁止となっていた原発跡地に調査に行くが、パトロールに見つかり、拘束されてしまう。

敷地内の研究施設へと連れていかれたジョーたちは、そこで巨大な怪獣の繭を目撃するのだった。

ジョーは日本人の芹沢博士に恐るべき事実を聞かされる。

そして再び15年前と同じ地震が起こり・・・。

『GODZILLA ゴジラ』の感想

最近またアメリカではじまった怪獣映画シリーズである。

1998年のエメリッヒ版のゴジラは出来不出来は別として、そのトカゲみたいなゴジラの解釈からしてもうゴジラ映画の風上にも置けないシロモノだったが、さてこれはどうか。

人間がどうしょもなくいらなすぎる件

怪獣が出てくるまでの最初の数十分の映像はかなりよくて興奮した。
ちょっと古い映画っぽい映像・演出・カメラワークがいい感じなのだ。
(それにしてもハリウッド映画に出てくる東京ってゆうと、必ず新宿の青梅街道が映るのは何故だろう)

とにかくこの映画、映像はよい。
しかし如何せん、ドラマ部分がクソつまらない。

あまりにもドラマがつまらないので、フランスの有名女優ジュリエット・ビノシュを起用した意味がぜんぜん無くなってるし、渡辺謙もアホみたいにただいるだけって印象だった。

それに比べると、核と怪獣の因果関係は風刺が効いていそこそこいいと思った。
冷戦時代に米ソが行っていた水爆実験は実は実験じゃなくて、ゴジラを秘密裏に退治しようとしていたのだとか(ちょっと謙虚さの足りない設定だが)、放射能漏れを起こしていた原発を、収束させることができずに仕方なく怪獣を飼っていたとか。

しかしとにかくお話しの進行が退屈。

怪獣が画面に出ていないシーンで、「早く怪獣が出てこないかなあ」と思うシーンが普通の怪獣映画より4倍くらい長く感じた。

GODZILLA ゴジラ(2014)

怪獣のシーンは素晴らしい臨場感(出典:imdb

撮り高、最高! – 怪獣が出てくる臨場感

しかし、である。

怪獣が出てくると、途端にこの映画は冴えはじめるのだ。
なんだこのギャップは。

ゴジラが海から出てくるところなど、ひどくゆっくりで、臨場感あふれている。
じわじわと海面に影と背中がチラついてきて、津波が起こり、軍が照明弾を放つ。
赤いほのかな光にゴジラの肌が暗闇に浮かび上がり、はじかれたようにパニックに陥る民衆。
といった具合に、段階の踏み方が高度。

スローな演出がドラマ部分ではやたらアダになっているのに、怪獣が出てくるパートではそれが途端にプラスに働くのだ。

それに、撮り方に韓国映画『グエムル』のいい影響がみられる。
そういえば燃えながら走る電車などは、スピルバーグの『宇宙戦争』の描写そっくり。
そう考えたら、他の映画のアクション表現をかなり参考にしているな。

しかし、パクりばかりというわけではない。
いちいち撮り方に創意工夫があふれていて、他の映画にあった表現でも効果的ならどんどん取り入れよう、という貪欲な姿勢がうかがえる。
だから既存の作品にそっくりな表現があっても、ぜんぜん嫌味はない。

『シン・ゴジラ』ばりに挿入されるロングショットもググッと効いている。
怪獣が出てくるまでは「もったいぶりすぎ!」と文句を言いたくなったが、いやいや、なかなかどうして、もったいぶっただけのことはあると思った。

↓ここから先はネタバレあり↓

GODZILLA ゴジラ(2014)

出典:amazon

さて、ゴジラ

今回はアメリカ映画にしては画期的な、敵の怪獣ムートーを正義の怪獣ゴジラが倒す、という構図。

実は私の世代では、物心ついたときからゴジラといえば、正義の怪獣なのだった。

中学生くらいの頃、雑誌で「実はゴジラは最初、怖い怪獣だった!」という記事を読んで、「えっ!? ゴジラって最初は人類の敵だったんだ!」と驚いたのを覚えている。

しかし1984年に新たに日本で制作された『ゴジラ』以来、制作されるゴジラ映画はほとんどが怖い系のゴジラばかり。
今ではゴジラといえばすっかり傲慢な人類に罰を与える破壊神として定着した感がある。

思えば、1975年の『メカゴジラの逆襲』を最後に東宝が「もうゴジラ映画はやらない」と宣言して、ガッカリしてから、1984年にゴジラ・シリーズが仕切り直しの復活を遂げてから早30年。
そろそろまた人類の味方としてのゴジラ映画も製作されていいんじゃないかと思っていた昨今に、アメリカがそれをこんなベタな形で実現するとは。

アメリカの皆さんも日本の古いゴジラ映画を見て育ったクリエイターが活躍する世代になってきたから、ありえないことではないけれども、ここは素直に感動したい。

ゴジラのデザインも、エメリッヒ版が無かったらどんな印象になっていたかわからないが、まあ悪くない。

欠点は多いけれども – まとめにかえて

欠点はドラマ部分が死ぬほど退屈なのと、敵の怪獣が普通に巨大な昆虫というだけで、いまいちゴジラのお相手としてはボリューム不足なところ。

それから、終始画面が暗くてアクションはかなり地味。

怪獣が出てきはじめる序盤のもったいぶりっぷりはかなりよかったが、けっきょく最後までもったいぶったまま終わってしまったという、クラシック音楽でいうとブラームスのヴァイオリン協奏曲のような映画である。
しかしまあ、これはこれで渋い作りで悪いというわけではない。

うやむやのうちに人類の味方になっちゃってるゴジラに人々が感謝するラストはもう勢いに呑まれて涙まで出てしまった。

死んだと思われていたゴジラが最後、目を開けるカット。
あのゴジラの瞳だけで「ゴジラは人類の味方」ということになっちゃってる。
ある意味、強引な演出だが、ちょっと笑えるからまあ許す。

というわけで、かなり欠点は多い映画だが、印象はよかった。

評価

悪名高いエメリッヒ版ゴジラの蹴飛ばし感がこの映画最大の勝利かと。
★★★★★

Good Movie 認定


『GODZILLA ゴジラ(字幕版)』を見る
『GODZILLA ゴジラ(吹替版)』を見る

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