アニメ『地下幻燈劇画 少女椿』丸尾末広があの時代にアニメ化された必然

地下幻燈劇画 少女椿
出典:imdb
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作品データ

監督:絵津久秋
原作:丸尾末広
脚本:絵津久秋
出演:中美奈子、森下紀彦、岡本圭之輔、林和義、加藤早苗
音楽:J・A・シーザー
制作:1992年、日本

あらすじ(ネタバレなし)

昭和の時代。父に逃げられ、病気の母を亡くした少女・みどりは、「困った時はいつでも訪ねておいで」と山高帽を被った男に騙され、見世物小屋『赤猫座』でこき使われることになる。狂人や障害者の芸人たちに虐められる日々が続くが、ワンダー正光と名乗る男がやってきたことにより、みどりの運命が変わりはじめる。

『地下幻燈劇画 少女椿』の感想

私が初めて買って読んだ丸尾末広の漫画のアニメ化作品。
漫画というより、ああいうの最近ではグラフィックノベルっていうのかな。

丸尾末広の映像化なんて、いっけんして不可能への挑戦のように思える。
よく「映像化不可能な〇〇がついに映画化!」みたいな宣伝文句を聞くが、それはまさに丸尾末広の漫画にこそしっくりくるキャッチなんじゃなかろうか。
とはいえ、蓋を開けてみれば、この時代によくあるアングラなアニメという感じの出来だった。

1992年の制作だけあって絵の質感とか声優の演出とか、時代を感じさせる古臭さ。
wikipedia によると、この作品は内容のあまりの過激さに制作会社が見つからず、監督の絵津久秋氏が作画までほぼひとりで手がけた自主制作とのこと。
この古臭さはプロダクションの手作り感覚に負うところが大きいとお見受けするが、それが功を奏して、原作の昭和猟奇レトリックな雰囲気はよく出ている。

そういえば、この頃(90年代前半)の日本って映像作品がけっこう狂っていた時代だった。
80年代のホラー・スプラッター映画ブームが一段落して次の狂った感性のもっていきどころを模索して日本の映像業界が悶えていたような時期で、ヘンな映像作品がレンタルビデオ屋のすみっこを賑わしていたっけ。
また、70年代のフーパーだのロメロだのアルジェントだの、ウォーターズだのルイスだのフルチだの、そういうクズ映画の洗礼を受けて育った映像作家がちょうど活躍をはじめた時期でもあった。
まあ丸尾末広の漫画のひとつやふたつ、アニメ化くらいされるってことだ。

とにかく90年代初頭のアングラ精神は生きているものの、いまいち丸尾末広の原作のシュールさは十二分に際立っているとはいえない。
見ていて「ここはもっと印象的な映像になってもいいんじゃないか」と思うことしばし。
しかし逆に、こうして今の時代にこういうアニメを振り返ってみると、現代のアニメの絵柄って大きく飛躍したものだなあと感心する。

と、絵には少しだけ不満は残るが、内容はかなりよかった。
原作はかなり忘れていたので、みどりちゃんの行く末から目が離せず、思わずストーリーに引き込まれた。
前半など「これは狂ったお話しなんだ」と自分に言い聞かせながら見ていないとゾーンに引き込まれてしまいそうな危険性さえ感じた。
みどりちゃんの「遠足行きたい」なんてセリフとか、胸につまされる。

地下幻燈劇画 少女椿

出典:imdb

途中、可哀想だったみどりちゃんがどんどん生意気になってゆくところはすごくおもしろかった。
それまでは「ああみどりちゃん、お願いだから最後は幸せになって」と思いながら見ていたから、ああ、これでどんなところへでもストーリーは持ってってくれてもいいなという開放感があったからなんじゃないかと自己分析してみる。

いやあ、それにしても、まさか丸尾末広の原作をストーリーで気にいるとは思わなかった。
絵柄も後半になるとだいぶ見慣れてきていい感じになってきた。

総括すると、アングラなアニメ作品としては十分オススメできる出色の出来。
この時代に丸尾末広の漫画がアニメ化されたのは実に幸運なタイミングだったと言えるのかもしれない。
この時代の感性じゃないと描けない類のアングラ精神は間違いなく生きていた気がする。

エンディングテーマも丸尾末広さん作詞でなかなかいい。

評価

なんだかんだいって、かなり気に入りました。
★★★★

Good Movie 認定

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