映画『マイ・フェア・レディ』の感想 – 不器用でヘンなミュージカル

マイ・フェア・レディ
出典:imdb
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作品データ

原題:My Fair Lady
監督:ジョージ・キューカー
原作:ジョージ・バーナード・ショー
脚本:アラン・ジェイ・ラーナー
出演:オードリー・ヘプバーン、レックス・ハリソン、スタンリー・ホロウェイ、ウィルフリッド・ハイド=ホワイト、グラディス・クーパー
音楽:アンドレ・プレヴィン
制作:1964年、アメリカ

あらすじ(ネタバレなし)

言語学者のヒギンズ教授はひょんなことから、下町生まれの粗野で下品な言葉遣いをする花売り娘イライザをレディに仕立て上げることができるかどうか、ピカリング大佐と賭けをすることになる。

イライザはなかなか“h”音を出すことができなかったり、【ei】を【ai】といってしまったり、一向に上達しない。
ところがある日、正しい発音で「踊り明かそう」を歌うことができた。

ヒギンズ教授は試しに淑女たちの社交場であるアスコット競馬場へとイライザを連れてゆく。
イライザと富裕階級の人々との会話はうまくいっていたかに思えたが、けっきょく思わぬ失態をさらしてしまう。

そんなイライザに恋をしてしまう富裕階級のフレディー。
またヒギンズ教授も、単なる賭けの対象でしかなかったイライザに特別な感情を抱きはじめるのであった。

『マイ・フェア・レディ』の感想

この『マイ・フェア・レディ』はオードリー・ヘプバーンが35歳の時の作品。
『ローマの休日』や『麗しのサブリナ』からほぼ10年後。
この、ちょっと旬をすぎたあたりの感じが役柄にとても合ってる。
「オードリーも老けたなあ」なんて思う暇もなく、キャラクターに自然と入っていけた。
素晴らしいことだと思う。

とにかくヘプバーンはよかった。
最初のほうの、下品な発音で英語をしゃべる花売り娘の演技など完璧だった。
(この映画のwikipediaを読むとキャスティングや演出にまつわるいろんなエピソードが書いてあっておもしろい)

コメディとしてもそこそこ笑える。
なかでも「On that plain down in Spain」みたいな古典的な天丼ギャグがおかしい。

個人的に一番好きなミュージカルは、スタイリッシュな競馬場での群衆の合唱シーン。

ちなみにDVDの特典でミュージカル・シーンのオードリー・ヘプバーンが歌っているバージョンが入っていたが、こっちの方が本編の吹き替えよりだいぶ好きだ。

斯様にこの『マイ・フェア・レディ』、いいところも多くあったが、ひとくちに言って、かなりヘンな映画、という印象。

↓ここから先はネタバレあり↓

ストーリー進行はいい意味で、古典的なテンポのよさを感じた。

イライザは英語の正しい発声の練習を繰り返すも、ぜんぜん出来なくて困っていたかと思ったら、いきなりマスターしたり。
競馬場で失態を犯して精神的にどん底に陥ったかと思ったら、次のシーンではもう立ち直っていて、大使館のパーティーへと向かうことになっていたり。
競馬場で出会ったばかりの紳士がもうイライザに恋していたり。

現在の状況をオモシロおかしく描いては、そのシーンの最後や、次のシーンでもう次の段階へとあっさりコトが進んでしまう。
そんな大雑把なストーリー運びを、音楽や俳優の演技、ファンシーな舞台演出で魅せてゆく。
今にしてみると新鮮な作り方に見える。

しかし、これが同時にこの映画のまずい点にもなっているのであった。

この映画、あえてリアリティを無視したコミカルな作り方をしているが、最初のほうではまあ、こういうスタイルで作った映画なんだな、と思って楽しく見ていられた。

ところが一箇所、どうしても納得いかないところがあった。

イライザが裕福な生活に嫌気がさして、古巣に帰ってきて父親と再会し、そこにイライザに片想いをするフレディがやってくるところ。
イライザが好きなら、そこにお父さんがいたら普通は挨拶のひとつもするだろう。
どんなマンガみたいな作り方でも、こういうところだけはちゃんと描かないと全部ぶち壊しになってしまう。

ぶち壊しと言えば、このシーンはとてもおもしろかったな。(出典:imdb

他にも演出でマズい点は多々ある。

イライザがついに舞踏会で成功を収めた後のヒギンズ教授とピクリング大佐のわざとらしい喜び方や、イライザが出ていって寂しがるヒギンズ教授のモノローグなど、意図的にそういう演出にしているのはわかるのだが、決して効果的ではなく、気持ち悪いわざとらしさが鼻につく。

演出がベタで稚拙なのに加えて、この映画のもうひとつの大きな問題点は、やたら会話が長くてクドいことだ。
つまり会話が長いわりには、描かれるべき心理描写が足りない。

ダメ押しは最後。
イライザとヒギンズ教授が妙にこじれた関係になってしまうところ。

この、こじれるきっかけの部分はやたら唐突に思えるが、要はヒギンズ教授は自分の功績ばかり誇って、イライザの努力に少しも言及せず、イライザはそれに対して不貞腐れている、という図式が根底にある。
しかしそれをイライザは将来への不安を爆発させることで喧嘩をおっぱじめたため、妙にいきなりな印象になっているのだ。
いざこざの原因はヒギンズ教授の無神経さにあるのだが、それと同時に、女のめんどくさいところがかなり表に出ているややこしいくだりである。

しかし真に唐突なのは、その後だ。
イライザがいなくなってヒギンズ教授が落ち込むところ。

ここは、それまでのシーンでヒギンズ教授とイライザが愛情を深め合う様子がぜんぜん描かれてこなかったため、かなり違和感を感じた。

第一、ヒギンズ教授とイライザは恋愛の相手としては年齢の壁がありすぎて、どういう関係性としてヒギンズ教授が寂しがっているのかもいまいちピンとこない。
ライバル的な存在でフレディという若い男が対極にあるのがまたこの混乱を盛り上げている。
こうゆうところを見ると、割とヘンな映画なのだ。

じゃあこの映画は男との結婚(フレディ)より女性の独立が選ばれた(ヒギンズ教授の元で働く)というラストなのかというと、そういう感じでもない。
というのも、フレディは甲斐性無しだから、イライザは「自分が働いてフレディを養う」と言っていたし、ヒギンズ教授の元で働くと言っても、単なるアシスタントだから、メイドに毛が生えたようなもんだ。

こういうところなど、まったく納得のいく落とし所の解釈がみつからなくて気持ちが悪い。

マイ・フェア・レディ

オードリー・ヘプバーンは最高によかった。(出典:imdb

それにヒギンズ教授は「僕は普通の男(I’m an Ordinary Man)」という曲の歌詞で、女性のめんどくささをさんざんこきおろしていたのに、その歌詞で歌われていた典型的なタイプの女性であるイライザに情をうつす、というところがもうわけわからない。

例えば

Would you be slighted
If I didn’t speak for hours?
Would you be livid
If I had a drink or two?

君はバカにされたと思うかい?
僕が数時間なにも話してくれなかったというだけで
君は怒ったりするかい?
たかが一杯や二杯の酒を飲んだだけで

など、こんな歌詞の内容を歌えるほど女性のめんどくさい側面を理解している男が、世の中そんな女性ばかりでもないのに、よりによってそういうタイプど真ん中のイライザに、たかが数ヶ月住み込みで言葉を教えたというだけで情を移すのだ。
それでいて、ヒギンズ教授とイライザが仲良くなってゆく過程がバッサリ省略されているから余計、違和感ばかりが残る。

そんな感じで人間の心理描写が無茶苦茶なわりには、どうでもいい会話が長く、映画の尺は3時間もある。
このバランスの悪さ。

最後は撮影ミスまであった。
ヒギンズ教授が蓄音機でイライザの声を聴き始めると、その横に部屋に入ってきたイライザの影が写る。
しかしカットが変わると、まだイライザは部屋に入ってきておらず、改めてゆっくりとイライザが部屋に入ってくるのだ。

まあいろいろと、私にはなんとも不器用でヘンな映画に思えた。

評価

オードリー・ヘプバーンはよかったし、いくつかのミュージカルシーンはとても楽しかった。
笑えるところも多々あった。しかし・・・
★★★★★

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