映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』の感想

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
出典:imdb
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作品データ

原題:Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance)
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
脚本:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、ニコラス・ジャコボーン、他
出演:マイケル・キートン、ザック・ガリフィアナキス、エドワード・ノートン、エマ・ストーン、エイミー・ライアン、ナオミ・ワッツ
制作:2014年、アメリカ

あらすじ(ネタバレなし)

リーガンは落ち目のハリウッド俳優。かつて『バードマン』という人気シリーズ映画でスーパーヒーローを演じ、スターの座にいたが、以降ヒットに恵まれず、世間からは「かつてバードマンを演じた俳優」の烙印を押されていた。さらに家庭では妻のシルヴィアと離婚し、娘のサムは非行にはしり、薬物に手を出していた。リーガンは落ちぶれた自分を嘲る心の声=バードマンに悩まされつつも、アーティストとしての存在意義を見いだそうと、ブロードウェイ進出を目論むのだった。

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』の感想

ちょっと変わった映画である。
見はじめて「ああ、この手の映画か」とちょっとうんざりした気分になった。

なんとなく『マルコヴィッチの穴』あたりから、アメリカ映画界にこういう感じの「クリエイティブ気取りな映画」みたいな枠組みが出来たような気がする。

ジャンルは違うが、ちょうど80年代にデヴィッド・リンチの『ブルー・ベルベット』が大ヒットしてから、ピーター・グリーナウェイなんかが注目されたり、『ヘンリー&ジューン』の公開からNC-17なんて新しいレイティングが設けられたりして、あのテの「エロチックなアート映画」の枠組みみたいなのがアメリカ映画界に出来たことがあるが、あの現象と少し似ている。

この『バードマン』は最初から狙いすぎな印象で、自らその枠組みの中に飛び込んでいってるみたいな生ぬるさを感じた。
クリエイティブ気取ってる割には内容で冒険してない、というか、スタイルに比べて斬新さを感じない、というか。

そういう印象になるのもスタイルが先行してあまり深い内容がないからだ。
うんざりの正体は明白である。

映像だけはすごい。
ほぼ2時間の映画を1カット(のように)撮影するなんて二十年前なら前代未聞。
とはいえ、現在はデジタル処理で別撮りした映像を自然につなげることなんて簡単だから、こういう映画がずいぶん撮りやすくなっている。
見たところ、風景とか小物とか、ものすごく頻繁に空ショット(人物が写っていない映像のこと)にカメラが逃げるから、実際はかなりマメにカットを切ろうと思えば切れているな。

しかしながら、やっぱり普通の映画と比べたらかなり長回しを使ってるわけだし、どの画面を見ても構図から照明から俳優の“いい顔”に至るまで、すべてバシッと決まっているところはもうスゴいという他ない。
それでも、この素晴らしい画作りがストーリー上、効果的だったかどうかと聞かれたら、「別に」という感じだ。

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

全編ワンカット風の映像にして、構図・照明から俳優のカメラ写りに至るまですべて完璧なところはスゴイの一言
(出典:imdb

やりたいことはわかる。

主人公のリーガンは数十年前に「バードマン」というヒーローもののヒット作に出演した俳優で、現在は落ちぶれている、という設定。
これは25年前『バットマン』シリーズに実際に主演したマイケル・キートン本人になぞらえていることは明らかだ。
また、登場人物の会話では実際の俳優や映画の名前が頻繁に出てくる。

これらはいわゆる現実と虚構を交差させることにより、観客に虚実の境目を見失わせる効果を狙っているのだ。

つまり全編1カットに見える長回しもそのひとつで、観客に映画の世界に入り込んで抜けられなくなるような感覚を与えようとする仕掛けなんだろう。
でもそれが効果的だったかというと、本当に「別に」って感じなのだ。

タイトルや超能力、妄想、映像表現などの要素でちょっと意味深な感じを演出しているけれど、業界の内幕やリーガンの悲哀など、そこだけ抜き取ったら普通のドラマだね。
こんな凝った映像にしないで普通に作った方がよかったんじゃなかろうか。
そういう点で、スタイルを間違えた映画だと思う。

間違えたといえば音楽も。
クラシック音楽史上屈指の名曲、マーラーの交響曲第9番の第1楽章を、クラシックを知ってる人間が、あんな使い方できるものかね。
クラシックを知らない人間が、適当に場面に合う音楽を選んだとしか思えない。
そしてマーラーの9番はそんな使い方をする人間の感性の俗悪さを白日のもとにさらすほどの深遠な境地に達した音楽なのである。

ちなみにこの映画、サブタイトルが「無知がもたらす予期せぬ奇跡」となっているが、ここに出てくる「奇跡」は miracle ではなく virtue。
virtue というと「美徳」というイメージが強いが、そこから「美点」「長所」となり、「力」「技能」などの意味へと発展する。
つまりこの映画の場合の virtue とは主人公のリーガンの妄想の超能力のことを指しているんだろう。

まあだからなんだって感じだけれども。

評価

この映画をどう評価するかによって、これまでの人生でどれだけどんな映画を見てきたか、が大きく試されているような気がする。
★★★★★

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