映画『風と共に去りぬ』の感想。メラニーより私は断然スカーレット派

風と共に去りぬ
出典:imdb
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作品データ

原題:Gone With the Wind
監督:ヴィクター・フレミング
原作:マーガレット・ミッチェル
脚本:シドニー・ハワード
出演:ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル
音楽:マックス・スタイナー
制作:1939年、アメリカ

あらすじ(ネタバレなし)

裕福な農場主の娘、スカーレット・オハラはアシュレーに恋していた。ところがアシュレーはメラニーと結婚してしまう。プライドの高いスカーレットは当てつけで、好きでもないチャールズと結婚する。まもなくチャールズは南北戦争で戦死し、17歳で未亡人になったスカーレットは戦火を逃れて実家のタラに帰り、そこで強く生きてゆくことを心に誓う。そんなたくましいスカーレットに遊び人のバトラーは次第に惹かれてゆくのであった。

『風と共に去りぬ』の感想

主人公のスカーレットはどうしようもないわがままなじゃじゃ馬娘で、最初のうちは好ましいところがひとつもないように見える。
南北戦争の影がにじりよってきているのに、「どうせ戦争なんて起こりっこないわよ」とただ今の裕福な暮らしが永遠に続くかのように、今のわがまま放題の生活がずっと続くかのように思っている。
恋が実らず、腹いせに好きでもない人と結婚してしまうほどの性格悪さ。

スカーレット・オハラ

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ところが実際に戦争がはじまり、家を焼かれ、ボロボロになって義理の妹のメラニーと実家に戻るあたりから、スカーレットは魅力的な女性として輝きはじめるのだ。
とくに土砂降りの雨のなか、橋の下で必死に興奮しそうになる馬を抑え、家族を守るスカーレットの姿を見て、なんて強い子なんだと感動さえ覚えた。

この目に焼きつくシーンが中盤最大の山場、命からがら実家に帰ったスカーレットが、庭の畑で掘り起こした痩せっぽちの大根をボリボリ齧り、「もう二度とこんなひもじい思いするもんか!(I’ll never be hungry again!)」と叫ぶ力強いシーンにつながる。

こういう極限的に辛い経験をすると人は普通、人生の無常とか、世の非情さを学ぶものだ。
しかしスカーレットはそんな達観した考えをもたない。
二度とこんな惨めな思いをしてなるものかと奮い立つのである。

前半プライドばかりが高くわがままだったスカーレットが、その性格ありのままに、たくましく強い女へと昇華する感動的なシーンだった。

ちなみに私事だが、このシーンの後インターミッションを境にいったん映画を見るのを中断し、次の日に続きを見たのだが、なんとその後1日中、ラジオを聞いてもYouTubeで誰かがしゃべっているのを聞いていても、すべての言葉が「軽く聞こえる」という感覚があった。
ヴィヴィアン・リー演ずるスカーレットの力強い演技がどれだけスゴいインパクトを与えたか、この一事からも窺い知れる。

そして見事スカーレットはその言葉通り、後半、経済的に成功し、裕福な生活を手にするのだ。

もう後半はスカーレットに恋してしまうくらいの勢いでスカーレットが好きになっていった。
呑んだくれて酒の匂いを消すためにオーデコロンでうがいしたり(志村けんかよ)、新婚旅行で美味しそうにケーキをパクついたり。
そのむき出しの生き様を見ているとほほえましく、こちらも元気がわいてくる。

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風と共に去りぬ

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この映画の半分以上にわたって、この好きでもない男ばかりと結婚したがるスカーレットと、遊び人で誰とも結婚しようとしないレット・バトラーとの奇妙な関係が描かれる。
そしてずいぶん後半になって、ついにふたりは結婚するのだが、スカーレットはいつまでも初恋の相手アシュレーが忘れられないし、バトラーは常にそんなスカーレットの中途半端な態度にストレスを感じている。

ちなみに戦争じゃなかったら、このアシュレーという男がこの映画で起こるすべての禍事の元凶である。
こいつの煮え切らない態度がなかったら、スカーレットだってその強さのままに、真の心の幸せだって早く手に入れることができていただろう。
スカーレットはわがままだが、恋に関しては一途で芯が通っているのだ。
自分の素直な気持ちに気がつかないことがそれほど罪なことなのか?
違うと思う。

しかし最後、バトラーはついにそんなスカーレットに愛想を尽かしてしまう。
その直前に、スカーレットはやっと、本当の心の底では、バトラーのことがいちばん好きだったことに気がつくのだ。
しかし時すでに遅し、バトラーはスカーレットの元を去っていってしまう。

ここにきてスカーレットは今一度、どん底に。
前半は経済的などん底。
そして後半は心のどん底。

そしてスカーレットは、かつて自分がどん底に落ち、再起を図った地でもある故郷に戻ることを決意する。
そこでこの映画は終わる。

われわれ観客は前半のあの強かったスカーレットを見ているから、きっとまたスカーレットは立ち直り、持ち前の強さで幸せを再び手にするんだな、と信じることができる。
子供を失い、親友を失い(しかしこの2名の死は演出過多で、いらない)、最愛の恋人を失い、どん底で終わるこの映画が、まるでハッピーエンドのようにキラキラ輝いて目に映るのは、スカーレットの強さへの信心がわれわれにあるからこそなのだ。

スカーレットの強さを信じることができる、それがこの映画のラストでわれわれが感じる感動の正体なのではなかろうか。

この原作の続編の執筆が他の作家の手によっておこなわれたと聞くが、そんな無用なことをどうしてするのかわからない。
信念の前に結果は必要ない。
スカーレットはきっとバトラーの心をふたたび射止め、その強い力で幸せを勝ち取るに決まっている。

評価

感動したし、泣けたが、それ以上に、元気をもらえる映画だった。
★★★★

Good Movie 認定


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