TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の感想と考察 – 人類と使徒と、母性。そして綾波。

新世紀エヴァンゲリオン
出典:amazon
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作品データ

監督:庵野秀明
副監督:摩砂雪、鶴巻和哉
脚本:庵野秀明、榎戸洋司、薩川昭夫、他
キャラクターデザイン:貞本義行
出演:緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、三石琴乃、立木文彦、山口由里子、清川元夢、山寺宏一
音楽:鷺巣詩郎
制作:1995-1996年、日本

あらすじ(ネタバレなし)

未曾有の大災害セカンドインパクトによって人口の半数が失われた世界。
14歳の少年・碇シンジは別居していた父・ゲンドウに呼ばれ、第3新東京市へとやってくる。
ゲンドウはシンジに巨大な汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンに乗って、謎の巨大生物「使徒」と戦うことを命じるのだった。

『新世紀エヴァンゲリオン』の感想と考察

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の公開を間近に控え、これを機に、これまでのエヴァンゲリオンを旧作からすべて見直しておこうと思い立った。

ついでにこのブログで順番に感想を書いていこうって寸法だ。

まずはこの旧TVシリーズ全26話から。

25年ぶりにエヴァを見直して見て驚いた2つのこと

実に旧TVシリーズを見直したのはかれこれ25年ぶりだが、今回、2つのことに驚いた。

ひとつは、「エヴァってこんなに素晴らしいアニメだったんだ!」ということ。
そしてもうひとつは、こんなに素晴らしいのに、半分以上のエピソードをぜんぜん覚えていなかったことだ。

よほどあの頃の私は無意識でエヴァを見ていたとみえる。

例えば第拾壱話『静止した闇の中で』の停電のエピソードなんて、まるで初めて見たようにすべてが新鮮だった。
そのくせ、碇司令が暑くて水に足をつけてるところみたいな、くだらないギャグシーンはハッキリと覚えていたりするからわけがわからない。

で結局、エヴァンゲリオンのスゴさとはいったい何だったのか

しかし25年たっても、これよりはるかに映像のクオリティが高い新劇場版を見てきた目にも、この旧テレビ版のスゴさは色あせないばかりか、くっきりと光彩をともなって増すばかりという脅威の事実。

何よりこのアニメは心理描写がよく出来ている。

と、ここで、エヴァンゲリオンというアニメの存在を初めて知ったときのことを思い出す。

「なに? エヴァンゲリオン、まだ見てないのか!? とにかく見ろ!」

そう友人にすすめられ、レンタルビデオで見たのだが、見る前に私が友人に投げかけたこの問い

「最近エヴァエヴァと世間が騒いでいるが、エヴァっていったい、何がスゴいんだ?」

これにその友人は迷わず「心理描写が素晴らしいんだ」と答えてくれた。

エヴァというと、世間では難解なストーリーが話題になっていたが、今にして思えば「謎めいたストーリー」などという客寄せパンダでしかない要素にまったく言及せず、あくまでも人間ドラマとしてこのアニメの素晴らしさを語ってくれた友人を持った私は、まったく幸運だったと思う。

虚構のなかにポンと投げ込まれたどこにでもいる多感な年頃の少年。

試練と葛藤。

運命を受け入れ、成長してゆく一個の青春。

この作品ほど、難しい年頃の少年の苦悩をリアルに描いたアニメがあったであろうか。

碇シンジ『新世紀エヴァンゲリオン』

碇シンジ(出典:amazon

エヴァをエヴァたらしめている特殊なレイヤー構造について

前に『シン・ゴジラ』の感想でも書いたが、そもそもこの『新世紀エヴァンゲリオン』のストーリーはどういったレイヤー構造で作られているか。

まず何億年も昔から続く長いストーリーを創造し、それをほとんど本編では語らず、ただそれを踏まえた設定、つまり世界観としてだけ採用する。

そして本編のストーリーはそこに投げ込まれたひとりの少年の心の成長に焦点をあてる。

もちろんその他の登場人物たちの描きこみも緻密で、群像劇としての側面もある。

誰に焦点を当てた物語として捉えても、これはロボットアニメの殻をかぶった心のドラマなのだ。

この特殊なレイヤー構造こそエヴァが斬新たる所以である。

庵野監督がインタビューで「エヴァの発想はどこからきたのですか?」と聞かれ、「ロボットアニメを作ろうと思って、自分なりにそれをやったらエヴァになったんです」みたいなことを言っていたのを聞いたことがある。

そうやって普通に「ロボットアニメ」を作っただけで、いつのまにかロボットアニメを超えてしまうという。
そこが庵野監督の非凡さを物語っている。

解消されない世界観の謎がもつ意味とは?

しかしそれでは、このアニメのおける世界観の謎は意味がないのかというと、当たり前だが、そんなことはない。

このアニメは解消されない謎めいたストーリーが話題になったが、謎が解消されないのは2つの必然がある。

ひとつは、すでに書いたように、この作品は心を描くアニメであって、世界観の説明が焦点ではないこと。

むしろ主役たちをとりまくパズルのような世界観は心のメタファーであって、抽象的であるべきなのだ。

そう、それこそが2つ目の必然。

ところがエヴァというと、この難解な内容を解読するのが流行った。
「シトとは?」「エヴァとは?」みたいな。

こういった謎解きはあくまでもエヴァの二次的な楽しみであって、基本的にシトやエヴァをストーリー的に理解するということは、エヴァンゲリオンというアニメの主旨を理解することとベクトルが逆にもなりかねないのである。

そう、ちょうど第弐拾四話『最後のシ者』のクライマックスのカヲルくんとシンジくんの会話のように。

カヲル「何人にも犯されざる聖なる領域。心の光。リリンもわかってるんだろう。ATフィールドは誰もが持っている“心の壁”だということを」
シンジ「そんなのわからないよカヲルくん!」
カヲル「生と死は等価値なんだ。自らの死。それが唯一の絶対的自由なんだよ」
シンジ「カヲルくん、きみが何を言っているのかわからないよ!」

多くを知っているカヲルくんの立場に近づくのも楽しいが、われわれは最後までシンジくんの視点のまま、このドラマをただぼーっと追い続けていればいいのかもしれない。

そう、謎なんてわからなくても、エヴァは「なんだかわからないけど、なんかよかった」「意味不明だけど、心に残る作品だった」そう思えるような仕掛けでちゃんと作ってある。

ここでもうこのアニメの感想は終わっちゃってもいいんだけど、それじゃあアレなので、もうちょっとつっこんだ考察をしてみよう。

ただ完全にエヴァを語り尽くすには何十万字あっても足りないから、この記事では2つのことに焦点をあてて、とりとめなくエヴァを語ってみたいと思う。

そのふたつとは、「綾波レイ」と「母性」。

↓ここから先はネタバレあり↓

綾波レイ『新世紀エヴァンゲリオン』

綾波レイ(出典:amazon

第壱話の冒頭に出てくる綾波レイは誰なのか?

こうして25年ぶりに『新世紀エヴァンゲリオン』を見てみて、改めて綾波レイはキーになるキャラクターだと強く感じた。

綾波レイは物語のうえで、道しるべのような役割があるのだと思った。

例えば第1話の最初のほうで、碇シンジの目に綾波レイが一瞬だけ垣間見えるシーンがある。

あれは第3新東京市にやってきたシンジくんに、これからはじまる彼の物語の道しるべ役として、姿を見せたんじゃないかと思った。

もちろん綾波レイの実態なのではなく、魂のような存在として、である。

『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』で、ミサトさんやリツコさんが死ぬときにも同じように綾波レイが出てきたのを思い出す。

あれはつまり死の世界への道しるべ、ということだ。

ネットで調べた情報によると、綾波レイはリリスの魂をもっていて、リリスやアダムには魂を導く力があるらしい。

碇ゲンドウが人類補完計画を利用して碇ユイとひとつになろうとしたときも、綾波レイに「ユイのもとに連れてってくれ」と言っていた。

もちろん綾波レイはリリスの魂をもっているとは言っても、リリスだったときの記憶はない。

フラッシュバックのように出てくる綾波レイはいわゆる、綾波レイのリリスとしてのオルター・エゴ、つまり魂に刻み付けられたリリスの記憶そのものなんじゃないかと思う。

綾波レイが自分の内面を振り返ると詩が出来る

第拾四話『ゼーレ、魂の座』に出てくる綾波レイのつぶやきがいっぱしの詩になっていて、心に残った。


重い山
時間をかけて変わるもの


蒼い空
目に見えないもの
目に見えるもの

太陽
ひとつしかないもの


気持ちのいいこと
碇司令


同じものがいっぱい
いらないものもいっぱい


赤い
赤い空
赤い色
赤い色は嫌い

流れる水

血の匂い

血を流さない女
赤い土からつくられた人間
男と女からつくられた人間


人のツクリだしたもの

エヴァ
人のツクリだしたもの

人は何?
神様がツクリだしたもの
人は人がツクリだしたもの

私にあるものは命

心の容れ物
エントリープラグ
それは魂の座

これは誰
これは私
私は何
私は何
私は何
私は何

私は自分
この物体が自分
自分を造っている形
目に見える私

でも私が私ではない感じ
とても変
体がトケていく感じ

私がわからなくなる。
私の形が消えていく
私でない人を感じる
誰かいるの、この先に

碇君

この人知っている
葛城三佐
赤木博士
みんな
クラスメイト
二号機パイロット
碇指令

あなた誰(綾波レイ)
あなた誰(エヴァ初号機)
あなた誰(エヴァ初号機の目)

この第拾四話は半ば総集編的エピソードで、作文や手記の形で、それまで放送された諸エピソードの裏にあった登場人物ひとりひとりの内面が語られる。
綾波レイの番ではそれが詩みたいになるのだ。

綾波レイの内面を作文にすると、普通に詩になるのだな。
おもしろい。

エヴァのテーマ「母性」が示すクロスオーバーな構図

この綾波レイに着目してエヴァのストーリーを追ってゆくと、このアニメの大きな核となるテーマが「母性」だという概念が浮かび上がってくる。

第拾伍話で綾波レイが雑巾をしぼる姿を見て、シンジくんが「お母さんみたい」と言う。
次の第拾六話の冒頭のシーンで、シンジくんはまるでお母さんのように朝食を作り「味噌汁の出汁を変えた」なんて話しをしている。
同じエピソードの後半で、シンジくんは使徒の虚数空間に初号機ごととりこまれ、諦めかけたところで母親のユイの幻影が優しくふれる。
数秒後、まったく同じアングルの左右反転の構図で、ミサトさんが助かったシンジくんを受け入れる。
授業参観のエピソードを引き合いに出すまでもなく、ミサトさんはシンジくんのお母さんがわりでもあるのだ。

惣流・アスカ・ラングレー『新世紀エヴァンゲリオン』

惣流・アスカ・ラングレー(出典:amazon

エヴァってのは結局どういう話しなのかというと、シトという別の進化の可能性と、まだ我が物顔でいたい人間との、地球の覇権の取り合い、その先にある更なる進化への追求である。

その戦いは、同時に母のカラダへの回帰合戦でもある。

だからエヴァのコアはパイロットのお母さんなのだし、シトは生みの親であるアダム(実際にはリリスだった)を目指すのだ。

おもしろいのは、このように人類も使徒も母性を軸として戦っていながら、その目指し方のベクトルは真逆だということ。

つまり「生命の実」を持っていた使徒は、物語が進むに従って、人間の心に興味を持ちはじめ、「知恵の実」を持っていた人間は、完全生命体としての存在を目指してあがくという、クロスオーバーな構図があるのだ。

そもそも使徒が人間に興味を持つって何のことか

第弐拾参話で、2人目の綾波レイが死ぬシーンの直前に、綾波レイが使徒と会話をするシーンがある。
ここは渚カヲルは別モノとすれば、『新世紀エヴァンゲリオン』全編で唯一、使徒の言葉らしきものが聞けるシーンだ。
(綿密に言うと人間も使徒なのだが、この記事では登場人物の認識と同様、敵の生命体のことをそう呼んでいます念のため)

この会話がとても興味深い。

レイ「誰? わたし? エヴァの中の私? いいえ、私以外の誰かを感じる。あなた誰? 使徒? 私たちが使徒と呼んでいるヒト?」
使徒「私と一つにならない?」
レイ「いいえ、私は私、あなたじゃないわ」
使徒「そう。でもだめ、もう遅いわ。私の心をあなたにも分けてあげる。この気持ち、あなたにも分けてあげる。痛いでしょう? ほら、心が痛いでしょう?」
レイ「痛い・・・いえ、違うわ・・・サビシイ・・・そう、寂しいのね」
使徒「サビシイ? 分からないわ」
レイ「一人が嫌なんでしょ? 私たちはたくさんいるのに、一人でいるのが嫌なんでしょ? それを、寂しい、というの」
使徒「それはあなたの心よ。悲しみに満ち満ちている、あなた自身の心よ」

この数話前から使徒が人間の心に興味を持ちはじめたという情報がちらほら出てきていたが、この会話でそれらの背景にある使徒の内面らしきものが読み取れる。

単体で完結している完全生物である使徒が人間に興味を持つとはどういうことか?

つまりそれは群がって生きる人間を知ることで、「ひとりぼっちでいることに疑問をおぼえた」という点が大きいのではないか。

しかし使徒はそれを「痛み」として認識し、綾波レイはそれが「寂しさ」だと解釈する。

しかしそう解釈することで、同時に綾波は自分自身の心をその解釈に映し出していたことに気がつくのだ。

綾波レイはリリスの魂をもっているので、普通の人間よりは使徒に近い存在である。

しかし人間として生きてきたことで、人間の心を経験の中で学んできた。

その違いが、使徒は同じ事象を「痛み」として認識し、綾波レイは「寂しさ」と表現することができたということなのではなかろうか。

新世紀エヴァンゲリオン

「いろんなぼく自身があり得るんだ」(出典:amazon

最終2話(第弐拾伍話と第弐拾六話)についての雑感

そして最終2話。

ここでは人類補完計画の精神面、いわゆるキャラ同士がお互いの心を補完し合う様が描かれる。

このラスト2話はアニメの放映が途中で打ち切られて腹いせにやったという話しも聞いたし、庵野監督がインタビューで、「最初からこういうラストにする予定だった」とも言っていた。

今回『エヴァンゲリオン』を25年ぶりに見てみて、思ったよりちゃんと説明されていると思った。
これ以上の説明はむしろ抽象性を損なうことになろう。
その意味で、このラスト2話のスタイルは妥当だといえる。
つまり庵野監督のコメントに一票。

そもそも創作物というのは状況の影響を受けつつ、あくまで中心はブレないまでも、スタイルの面においては制作過程で少しづつ形を変えてゆくものだ。

最終2話のスタイルはその範囲内だと考えると、両方が正解だとも言える。

第弐拾四話で最後のシトをやっつけたんだから、後は人類補完計画を描くだけの状況なので、このラストはスッキリまとめた感じ。

ちなみに最後の学園風景のクリップの後、「いろんなぼく自身があり得るんだ」というシンジくんの発言。

これはエヴァ新劇場版へつながる発想という気がした。

とにかくこれはこれで、ちゃんとした結末なのだな。

 * * *

やっぱりとりとめない文章になってしまったが、この続きは『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH (TRUE)2/Air/まごころを、君に』の考察と感想にて。

『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH (TRUE)2 / Air / まごころを、君に』の感想と考察
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本日の記事のYouTube版はこちら(少し理論が発展しています)。

こちらもあわせてご覧ください。
冒頭の綾波レイの幻影について解説した動画です。

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評価

本当に人類の歴史に残さないといけないスゴいアニメだと思います。
★★★★★

Good Movie 認定


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