作品データ
企画・原作・脚本・総監督:庵野秀明
監督:摩砂雪、前田真宏、鶴巻和哉
出演:緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、坂本真綾、石田彰
音楽:鷺巣詩郎
制作:2012年、日本
あらすじ(ネタバレなし)
前作から14年。
エヴァ改2号機と8号機は大気圏外でネルフが封印していた初号機と碇シンジ君の奪還に成功。
目覚めたシンジ君は、あれから14年もの月日が経っていたこと、助けたはずの綾波レイがいないこと、ミサトさんやアスカが自分に怒っていることなどにショックを受ける。
しかも、ミサトさんたちはネルフ壊滅を目的としたヴィレという組織を結成していた。
戸惑うシンジ君に、ネルフから綾波レイの声でお迎えがやってくる。
シンジ君はミサトさんたちの何も教えてくれない冷たい態度に不満を抱き、自らすすんでネルフへ連れていかれる。
14年ぶりの変わり果てたネルフ本部で、シンジ君は父と再会し、そしてひとりの不思議な少年と出会う。
そこでシンジ君は衝撃の真実を聞かされるのだった。
※注:この記事は『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の公開前に書かれたものです。
現在の私からみて一部、間違った考察がされておりますが、当時の考察過程の記録として、修正せずに残してあります。
最終的な私の結論を知りたい方は、このブログのYouTube版の厳選エヴァ考察動画をご覧ください。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』の感想
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』公開にそなえて、エヴァンゲリオンを旧作からすべて見直して考察する記事の第5回目。
第1回目はTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』の考察。
第2回目は映画『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air / まごころを、君に』の考察。
第3回目はアニメ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の考察&感想。
第4回目はアニメ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の考察&感想。
今回は『:Q』の考察&感想です。
ちなみにこれまで書いてきた記事から、新たな気づきがあったり理論が発展してきたりしたため、一部の内容に過去の記事と齟齬が生じているかもしれませんが、これらは私の思考過程の軌跡として訂正せずにそのままにしてあります。
ご了承ください。
シンジ君を殺せなかったミサトさん
前作のラストでサード・インパクトが起きて、今作はフォース・インパクト(つまりサード・インパクトの続き)をめざして物語が進んでゆく。
『:破』から『:Q』までの間にシンジくんに何が起こっていたのかというと、ようするに旧エヴァでいう第弐拾話の、シンジくんが初号機と融合してとろけてしまった、あの出来事に対応する状況になっていたと思われる。
新劇場版は旧エヴァと起こっている出来事がことごとく対応しており、そしてしばし、その順番が違っていたり、要素がさかさまになっていたりする。
旧エヴァでは、ミサトさんは救出されたシンジくんを抱いて涙を流して喜んだが、今回は反応が逆で、かなり冷ややかな態度。
しかし、あれは他のヴィレのメンバーの手前、ああいう態度をとっていただけなのだろう。
ミサトさんがDSSチョーカーのスイッチを押せなかった、つまりシンジくんのを殺すことが出来なかったのが、その何よりの証拠である。
DSSチョーカーのスイッチを高々とかかげながら、何もできないミサトさんの表情を画面にいっさい映さない演出が秀逸。
シンジ君に青臭いバイト時代を重ねた件
前半の碇シンジ君が置かれた状況をみていると、学生時代の青臭いバイト青年だった頃の自分らを思い出す。
新しくバイトを始めると、ちゃんと教えてくれる職場はいいんだけど、ロクに教えてくれないで、まごまごやってると、仕事が出来ないやつ呼ばわれされたりする。
それでも必死になって自分なりに考えてやろうとすると「余計なことをするな」と言われたりする。
悩みを人に打ち明けたりすると、「ガキだなあ」なんて言われる。
しかし大人になって改めてそんな碇シンジ君を見ていると、やっぱり青臭いガキではあるのだ。
渚カヲル君のような人もまわりにいるが、そういう人たちは慰めにはなっても、成長の手助けにはなりはしない。
もまれ、あがきながら、大人の社会は理不尽に満ちていることを知り、その中で本当の自分を保ちながら、真に自分のやるべきことを考えて、うまく立ち回るしかない。
ネットには何も教えてくれない大人たちを批判するレビューも散見されるが、わかる人には妙に実感を感じてしまうのがこの『:Q』前半の人間模様なのである。

碇シンジ(出典:imdb)
つかみはオッケー – 冒頭のアクション
『:Q』はとにかく冒頭シーンが素晴らしくて、こないだからDVDで何度も繰り返し見ている。
まっくろい宇宙にブースターがボーッと浮かんできて、噴射、そして切り離し。
トラップで仕掛けてあったものか、ネーメジスシリーズの一体にいきなり攻撃を受けて、ドドンと盾に穴が空いたショットで音楽スタート。
ここの音楽の入り方のカッコよさ。
こんなカッコいい音楽の入り方する映画を私は他に知らない。
この勢いでヘルメットをかなぐり捨てて颯爽とアスカが登場。
この後のアクションはカット割りとカメラワークと音響効果により、見事に上下の概念が薄い地球軌道上の無重力感覚と、爆発や衝突などの衝撃が肌感覚にまで至るリアリティで完璧に表現され切っていて、もう名人芸。
また、これだけのリアリティを魅せておいて、使徒に攻められてピンチになったアスカが「何とかしなさいよ、馬鹿シンジ!」と叫んだ刹那、シンジ君と同化していた初号機がビームを放ってアスカを助けるベタなくだりがあるところが、たまらんほどおもしろい。
碇シンジ君にとっての「アスカにバカにされる」ってこと
“アスカにバカにされる”ってのはシンジ君にとっての覚醒ワードなのだ。
覚醒ワードとは、特定のキャラクターがその言葉を言われると、普段では出さないような特殊な能力を発揮してしまうという、古くから漫画や映画やドラマにあるモチーフである。
例えばドラマ『噂の刑事トミーとマツ』のトミー刑事にとっての「トミ子!」とか、漫画『コータローまかりとおる!』の天光寺輝彦にとっての「このハゲ!」などに当たる。
旧劇場版完結編『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air / まごころを、君に』の冒頭で、シンジ君が植物人間になってしまったアスカの横で「またいつものように、僕をバカにしてよ、ねえ!」と泣きながら駄々をこねるシーンを思い出せばわかるが、「アスカにバカにされる」というのはシンジ君のもうほとんど生き甲斐のようなものなのである。
だいたい、シンジ君は同映画のラストで、綾波レイ(つまりリリス)とひとつになれたポカポカな世界を放棄して、わざわざアスカに「気持ち悪い」とバカにされる世界を選択するほどの人間なのである。
(しかしそう考えると、あの映画のラストはシンジ君にとってホクホクのハッピーエンドだったんだな)
そりゃ、14年ぶりに「馬鹿シンジ!」なんて叫ばれた日には、喜んでビームのひとつも出すだろう。
こういう古臭いベタなマンガやドラマのモチーフを自然に魅せるテクニックが庵野監督の素晴らしい才能のひとつだと思う。
とくにこの『:Q』はその手のサービス描写が多い。

式波・アスカ・ラングレー(出典:imdb)
出ました、宇宙戦艦AAAヴンダー
例えばヴンダー。
その登場には本当にぶったまげた。
ヤマトみたいな宇宙戦艦をエヴァで見れるとは思わなかった。
また、ヴンダーが飛ぶシーンでは、古い特撮SF作品を想起させる、戦艦を吊す細い糸が光っているのが見える。
このセンスがスゴすぎる。
ヴンダーの動力源は初号機で、初号機は神様のコピーだから、ジェットエンジンとかそういった科学的なものよりも、後光とかオーラとか、何かしら高次元の動力源で浮いていることは想像に難くないわけで、つまりあの光の糸はそういった超越したエネルギーの動力がちょうど上から吊るすような作用で浮いている、という表現なんじゃないかと思う。
ちゃんと説明できる裏付けを確保した上で、糸で吊って宇宙船を動かしていた古い特撮映像のベタなオマージュをぶっ込んでくるなんて、本当に画期的。
ちなみに『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』のタイトルが「急」ではなくアルファベットの「Q」になっているのも、『ウルトラQ』になぞらえているのだと思われる。
↓ここから先はネタバレあり↓

出典:amazon
しっちゃかめっちゃかな状況(笑)
ベタなマンガ表現で私が好きなのが、最後のインパクトのシーンでのアスカとマリのやりとり。
ドグマから這い上がってきたマリが「あっちゃー。こいつはしっちゃかめっちゃかな状況ねぇ」なんてありえないテンションのセリフを言う。
インパクトの惨状をキャラクターに「しっちゃかめっちゃかな状況」なんて言い方で描写させる、これがどれほどルールを度外視した大胆なセンスかわかるだろうか。
さらにその後のやりとり。
アスカなめ8号機のツーショットで「コネメガネはガキのエヴァを! ヴンダーは改2で助ける!」と指示するアスカにマリが8号機の指をたてて「ラジャ!」と答えるカット。
ありえない軽さ、だが耐えられない軽さではない。
この、憎めない悪意のこもったこの意図的なテンションの間違いかた、もうたまらなく大好きだ。
「綾波レイ」の定義とは?
『:破』で碇シンジ君が助けた綾波レイはどこかへいなくなっちゃっていて、かわりに『:Q』では無表情で中身がカラッポのアヤナミレイ(仮)が登場する。
そしてリリスは『:破』と『:Q』のあいだに復活してもう死んだことになっている。
リリスは果たして本当に死んだのか?
『:破』に出ていた綾波レイは本当にもういないのか?
私はこの問いの最大のヒントになるセリフが渚カヲル君の、アヤナミレイ(仮)をしてのたまった「魂の場所が違うからね」というあれ。
「魂の場所が違う」ということは「他のどこかに魂がある」ということだ。
魂が「無い」ではなく「場所が違う」のである。
昔から「綾波レイ」の定義は、「シンジ君のお母さんのコピーにリリスの魂が入っているもの」と相場が決まっている。
リリスの魂はどこか他の場所にあって、おそらくヴンダーの中かもしれないが、まだ生きているということなのだ。
ちなみにアヤナミレイ(仮)は魂がそこにないから、「心ここに在らず」なキャラ設定になっているのだな。
じゃあ、『:破』と『:Q』の間に動き出して死んだという、あの「リリスもどき」は何なのか?
「リリスもどき」についての解明
旧エヴァでは、ネルフの地下で十字架に貼り付けられた巨人はアダムだと思われていた。
しかし、それが最後にリリスであることが判明する、というオチだった。
ここで重要なのが、旧エヴァと新劇場版は、さまざまな要素が対照的になっている、という点だ。
例えば、
- 旧エヴァでは碇シンジ君はサード・インパクトを止める立場だったが、新劇場版では起こす立場になっている。
- 旧エヴァで渚カヲル君は人類によるサード・インパクトを自らの死をもって促す立場だったが、新劇場版では逆に覚醒した初号機に槍を打ち込んで、食い止める立場になっている。
- 旧エヴァではエヴァが使徒を喰うシーンがあったが、それにあたる場面が新劇場版では使徒がエヴァを喰うシーンになっている。
- 旧完結編でミサトさんはシンジ君を無理矢理エヴァに乗せたが、『:Q』でミサトさんはシンジ君に「エヴァに乗るな」ときつく言い放つ。
こんな感じで、旧エヴァと新劇場版ではいろいろなことが逆になっているのだ。
『:序』でミサトさんはシンジ君に巨人を見せ、「リリスだ」と説明した。
ならば、それはリリスでは無い可能性が高い。
そして、そう考えれば、前項で導き出した「リリスがまだ生きている説」ともつじつまが合う。
では、ネルフ地下にあったのはリリスじゃなくて何なのか? と聞かれたら、おそらくアダムか使徒だろう、と私は思う。
完璧なシンメトリーの構図を臨むならアダムということになるが、使徒のお面をかぶっているから使徒かもしれない。
『:Q』で碇ゲンドウがネーメジスシリーズという、エヴァを使徒化させた化け物を創造してミサトさんたちと戦っているが、ひょっとしたらネーメジスシリーズとは、ネルフ地下の「リリスもどき(使徒)」を何かしらの形でエヴァと融合させ、作られたものなのかもしれない。
エヴァ三位一体論
以前、旧エヴァの完結編を見ていて私は、「エヴァ三位一体論」という説を思いついたことがある。
キリスト教における「三位一体」とは、「父なる神」と「神の子」と「精霊」がひとつである、という考え方だ。
これを旧エヴァのラストに適用すると、「リリス(母なる神)」と「碇ユイ(シンジ君の親)」と「綾波レイ(レイちゃんの「レイ」は精霊の「霊」だと解釈できる)」が融合して、ひとつの神になったと解釈できるのだ。
表にするとこういうことになる。
キリスト教における三位一体 | エヴァ的三位一体論 |
---|---|
父なる神 | 母なる神(リリス) |
神の子 | シンジ君のお母さん(ユイ) |
精霊 | 綾波レイ |
私は新劇場版は旧エヴァと世界観が繋がっていると考えているのだが、この「エヴァ三位一体論」に照らし合わせて新劇場版の3人をざっとおさらいしてみると、いろいろと納得するところが多い。
例えば旧エヴァでユイの苗字は「碇」だったが、新劇場版では「綾波」に変わっている。
つまりこれは、ユイ、レイの両名が旧作でリリスとしてひとつの存在に統合されたことを意味しているのではなかろうか。
また、最後の方でマリがアヤナミレイに対してこんなセリフを言う。
あんたのオリジナルは、もっと愛想があったよん
ここでマリが言う「愛想があった」というのは、『:破』の最後の方で、第10の使徒と戦っているマリをレイが助けるときに「逃げて、2号機の人」と言った後に「ありがとう」と丁寧な言葉を添えたことを言っているのだと思う。
これもつまり、旧エヴァで綾波レイは碇ユイのクローンだったが、新劇場版では何のコピーでもなく、オリジナルのリリスそのもの、という意味なのだ。

アヤナミレイ(仮)(出典:imdb)
マリのメガネに注目
マリは『:破』の最後でメガネが割れて、『:Q』から新しいメガネをしている。
このメガネはかなり重要な考察ポイントである。
さっき、旧エヴァと新劇場版ではさまざまな要素が対照的になっている、と言った。
旧エヴァでは神様のコピーであるエヴァと、神のしもべである使徒が戦うドラマの裏で、物語の主導権を握っていたのはゼーレと碇ゲンドウだった。
新劇場版ではこの構造が逆転していて、裏で主導権を握っているのがリリスであり、碇ゲンドウは使徒化して戦いのドラマの表舞台へと立ち位置が移動している。
つまり新劇場版における碇ゲンドウは、旧エヴァにおける「使徒」の立ち位置になっているのだ。
そして新劇場版で、旧エヴァにおける碇ゲンドウの立ち位置にいるのが、真希波・マリ・イラストリアスなのである。
これを表にするとざっとこういうこと。
オモテの戦い | ウラでの対立 | |
---|---|---|
旧エヴァ | エヴァ vs 使徒 | ゼーレ vs 碇ゲンドウ |
新劇場版 | ヴィレ vs ネルフ | リリス vs マリ |
そこで注目したいのがマリのメガネなのである。
物語の途中でメガネが割れて、新しいメガネになるキャラとして、マリの他に碇ゲンドウがいる。
しかもふたりとも、綾波レイがらみでメガネが割れるのだ。
碇ゲンドウは綾波レイを助けるシーンでメガネが割れ、
マリは綾波レイに助けられるシーンでメガネが割れる。
碇ゲンドウは普通のメガネから、何かたくらんでいそうなサングラスへとメガネが変わり、
マリは普通のまるっこいメガネから、角ばったメガネに変わる。
マリのこのメガネ、よく見たら、ウルトラセブンのメガネにソックリなのだ。
ウルトラセブンといえば、「宇宙からの侵略者」である。
そう、元はと言えば、アダムもリリスも、宇宙から地球へと飛来した高次元生命体なのである。
つまりマリは、アダムやリリスに続いて、今回、新たに地球にやってきた、宇宙からの侵略者なのではなかろうか。
新劇場版の背後ですべての主導権を握っている黒幕がリリスだとすると、それを裏切るのがマリ、という図式が見えてくる。
まとめると、旧エヴァの碇ゲンドウも、
新劇場版のマリも、綾波レイがらみの事件でメガネが割れて、新しくなったメガネがそれぞれの思惑を象徴しているという、対照的なモチーフの一致が認められるのだ。

真希波・マリ・イラストリアス(出典:imdb)
コア化について
エヴァ考察サイトをいろいろ検索していて、「コア化」って言葉を知った。
映画本編には出てこないが、公表されているコンテとか台本に出てくる言葉なのだそうだ。
新劇場版では最初から海が赤く染まっていたり、『:Q』からは前作のサードインパクトの影響か、大地や建物が赤く染まっている。
これを「コア化」というらしい。
「コア」って言葉を聞いてそくざに思い出すのが使徒やエヴァの中心にあるコア。
すると、地上ぜんたいが「コア化」してるってことは、地球そのものが巨大な生命の中心になっている、ってことなのかもしれない。
中盤の、カヲル君がシンジ君にサードインパクトの惨状を説明するシーンで、ズタボロになった地表の映像に超巨大な歯みたいなのが見えるショットがある。
あそこなんか、モロにそんな感じがする。
ひょっとしたら『:Q』は、現実の世界と魂だけの世界が接触している世界観が描かれている、ということなのではなかろうか。
だから生身の人間はコア化したエリアには入れないが、エヴァの呪縛にかかったパイロットたちはコア化したところにも入れるわけだ。
いやしかし、本当にそういうことだとしたらスゴい発想である。
インフィニティについて
カヲル君がシンジ君とドグマへ下降してゆくシーンで、壁がいちめん無数の小さなエヴァンゲリオンみたいなので埋まっており、それをしてカヲル君が「インフィニティのなり損ないだよ」と説明するくだりがある。
またわからん言葉が出てきた。
「インフィニティ」とは何か?
インフィニティ(infinity)というと、「永遠」とか「無限」という意味である。
「永遠」「無限」で思い出すのが、旧エヴァでユイが言った「エヴァは無限に生きていられます」と、それに対する冬月の「ヒトの生きた証は、永遠に残るか……」このセリフのやりとり。
つまり「インフィニティ」とは「エヴァ」ってことなのだ。
「インフィニティに成り損なった」ということはつまり、人類ひとりひとりがエヴァみたいになる、みたいな現象が起きかけたのだ、と想像できる。
旧エヴァは「人間が単一の神に進化する」というお話しだったが、私の予想では新劇場版では人間は神にならず、あくまでも群れたヒトのまま進化するお話しになるんじゃないか、と考えている。
この「インフィニティ」がその過程の途中で失敗したものだと考えると、何かしっくりくるものを感じる。
ちなみに人類の魂は現時点でこれらインフィニティひとつひとつの中でちょうど眠っているような状態にあるんじゃなかろうか。
これらが目覚めてまた『シン』で人類が復活するんじゃないかと私は予想している。
余談だが、マウリッツ・エッシャーという画家のドキュメンタリー映画『Journey into Infinity』(「インフィニティ」という言葉が入っている)の予告編を見ていて、『:Q』でインフィニティが隙間なく積み重なっている様は、まるでエッシャーの「だまし絵」のようだと思い、ちょっとつながるものを感じた。

見れば見るほど、「インフィニティ」そっくり
庵野監督はここから「インフィニティ」のモチーフをもってきたのかもしれない。
ゼーレの目的について
『:破』でゼーレが「我らの望む真のエヴァンゲリオン。その誕生とリリスの復活をもって契約の時となる」と言っていた。
ここに出てくる「真のエヴァンゲリオン」とは何か?
これはきっちり冬月先生がセリフで説明してくれていた。
偽りの神ではなく、遂に本物の神を作ろうというわけか
旧エヴァから続く「エヴァンゲリオン」の定義は「神様のコピー」だった。
それを、コピーではなく、「神様そのもの」にしちゃおうってのがゼーレの目的、つまり死海文書に書いてあることなわけだ。
旧エヴァでも初号機を依代(よりしろ)にして知恵の実と生命の実の両方を備えた完全無欠の生命体、いわば新たな神を誕生させることが目的だった。
つまり言い方を変えているだけで、新劇場版も旧エヴァと概要においてはかなり共通している。
そしてその神になる「真のエヴァンゲリオン」は何のことか?
まず冬月先生がご丁寧に「それがMark.6なのか?」ともろにミスリードのフラグっぽいセリフを言ってる時点で、Mark.6のことじゃないのは容易に想像がつく。
今回『:Q』のラストで、第13号機がそのMark.6を取り込み、白く発光。
アスカが「こいつ、擬似シン化形態を超えている」と言う。
「擬似シン化形態」とはつまり「シン」を「神」だとすると「神様っぽい状態になる」という意味。
「擬似(ぽい)」を「超えてる」とはつまり「神様になっちゃった!」ということである。
真のエヴァンゲリオンとは第13号機だったことがここで解るのだ。
第13号機が神になった直後にゼーレが「これで我らの願いは既にかなった」と言っていることとも辻褄が合う。(このセリフはもうひとつの裏の意味があると私はみているが)
ここのゼーレと碇ゲンドウの会話で「神殺し」という言葉が出てくる。
つまりゼーレの目的は新しくヒトの手で神を創って、古い神を殺す、ということだと受け取れる。
では殺す神とは?
リリスやアダムかもしれないし、はたまた、マリのことかもしれない。
あるいは、神になった第13号機を殺す、ということかもしれないが、どれもしっくりこないね。
ひょっとしたら最後の映画で、今まで出てこなかった、まだ見ぬ根源的な大神が登場するのだろうか。
さすれば、明らかに何かをたくらんでいそうで、人間とは思えないマリの正体が、その大神の「手引き」だと思うと、ちょっとしっくりくるものがあるかもね。

実は私は今までエヴァのデザインってあまり好きじゃなかったんだけど、
初めて「カッコいい!」と思ったエヴァがこの第13号機。(出典:imdb)
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の展開を大予想
さて、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』での展開予想だが、さっきも言ったように、旧エヴァでは「エヴァvs使徒」だったのが、新劇場版では「ヴィレvsネルフ」、つまり人間どうしの戦いへとシフトしている。
「人間どうし」の戦いと聞いてハッと頭に浮かぶのが、シンジ君と碇ゲンドウの戦いである。
『:破』で綾波レイちゃんは、シンジ君と碇ゲンドウを仲良くさせようとした。
これは真逆の展開への布石である。
シンジ君は復活した初号機に乗り、使徒化したゲンドウと戦う。
つまり最後は親子対決。
そして戦いの末・・・シンジ君はシン人類に。
(『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の「シン」の意味とはこれだ!)
では、ゲンドウの行く末は?
それはもう「シ」しかあるまい。
一方、エヴァ本来の主旨である「心の物語」いわゆるドラマとしての結末だが、エヴァはハーレム系恋愛ドラマとしての要素を多分に含んでいると思っている。
つまり主人公のシンジ君は誰とくっつくのか?
レイちゃん、アスカ、それともマリ?
私は個人的には最後はレイちゃんと結ばれてほしいと思う。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の本予告編が出たが、そこにこれまでのエヴァで見たことのない、ひとりの少女の姿があった。
あれは碇シンジ君とレイちゃんの子供なのではないか、と私は夢想している。
YouTubeバージョンもぜひご覧ください
当ブログのYouTube版がありますので、ぜひこれらも併せてご覧ください。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』冒頭を分析することで、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』ラスト30分が完全に理解できる解説動画(一部18禁)。
【エヴァ考察】「また3番目とはね」の「3番目」とは何か? ついでに「THRICE UPON A TIME」の意味を解説
【アニメ映画レビュー】『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』のココがよかった!3選【ネタバレあり感想】
もし気に入っていただけましたら、高評価ボタン&チャンネル登録、よろしくお願いいたします。
評価
私の中で新劇場版は『:破』が最高傑作だが、何度も繰り返し見たくなるのはこの『:Q』。
「心の物語」としては『:破』に軍配があがるが、リアリティあふれる斬新な表現という点で、この『:Q』はもうひとつの最高傑作だと思う。
★★★★★
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コメント
マリについてですが、コミック版の真希波マリをオリジナルとするクローン説はかなり有力だと思っています。
エヴァに乗るための条件は明らかにされていませんが、やはり生まれる前後でなにがしかの操作が加えられていたのではないかと推測され、それが仕組まれた子どもたちとなったのではないでしょうか。
マリオリジナルはユーロネルフで冬月研究室で行っていた研究を引き続き行っていたのでしょう。そして自分でエヴァに乗れないため、自分の記憶を引いついだクローンを作成し、イラストリアスの名前を付け加えたのでしょう。
また、「シン」で明らかになった、アスカクローンの作成にも当然関わっていたでしょう。
「破」で、ずっと気になっていたカットがあります。シンジとトウジとケンスケがアイスを買食いする場面のあと、唐突に挿入されるマリが空を見上げるシーンがそれです。マリは、3号機起動実験でアスカが陥る罠を知っていたことを示唆するカットであると思いますがいかがでしょうか。
なるほど、「コミック版のマリがオリジナル」という説は初めて耳にしましたが、実にしっくりくる解釈ですね!
(YouTube版の『マリの正体についてパート2』の際にぜひ参考にさせてください)
私は式波シリーズのオリジネルは旧TVシリーズの惣流・アスカ・ラングレーだと考えているので、つまり新劇場版の「波」シリーズは「コミック版やテレビ版等の別次元エヴァ作品のコピーで成り立っている」という統一した見解が成立しますね。
これはシンエヴァのラストに出てくるリリスが人工であることにも繋がり、納得できます。
つまりエヴァ本来の神話的な要素は新劇場版においてすべからくコピーや人工のモノに終始しているのであります。
ただ、マリの正体はそれだけではまだ半分だと考えておりまして、ペペロンチーノさんのおっしゃる過程のどこかしらで、やはりマリはリリスやアダムと源流を同じくする、宇宙からの高次元の存在(第一始祖民族って言うんでしたっけ)との融合はあったのではないかと考えております。
そうでなければ、シンエヴァラストでのマリの「役割」には説明がつき難いものがあるというか、神話的な要素が消失した新劇場版の世界観で唯ー、神から使役されてきたすべてのカオスのまとめ役としては、説明不足に陥ってしまうのではないかと考えたりしております。
『:破』でマリが空を見上げるカットですが、あれはむしろマリがそのことを悟った、初めて自覚したシーンではないでしょうか。
その直前にトウジがアイスクリームの棒を見て「ハズレ」と呟く。これは本来3号機のパイロットに選ばれるはずだったトウジがその運命から外れた、つまり運命が大きく「変わった」ことを暗示しています。
マリは空(つまり天)を見上げて、今から大きく物語の運命が変わり始め、そこに自分の役割が待っている、そのことにハッと気がついたシーンなのではないかと、妄想している次第です。
(マリの表情が何か重要なことを悟ったそれのように感じましたので)
ゲンドウによって書き換えられた人類補完計画をさらに書き換えることが、ユイとマリの、そして冬月の隠された目的であったことが「シン」で明白になったわけですね。
ゼーレは宇宙から来た者たちであることはほぼ確実だと思います。もしマリが宇宙人だとすれば、アンチゼーレ人ですね。
「ゼーレが宇宙人」なんて説があるんですね!
軽く衝撃を受けました。
いつかYouTubeの動画でも詳しくお話しすることにしますけれども、私の認識ではゼーレはあくまでも「人間」で、最初に宇宙からの叡智(死海文書)を手にして優位性を持つことで、世界を裏から牽引する存在になれた人たち、という考えがありました。
ゼーレが宇宙人になってしまうと、私が持っているエヴァの世界観もかなり修正が必要になりそうです。
私の中ではあくまでも、
“宇宙からやってきた存在=神”
なので、ゼーレが宇宙人になってしまうと、ゼーレが「神へのレジスタンス」を計画する意味もわからなくなります。
それに、大局的なエヴァの図式を考えたらすぐわかることですが、エヴァはいわゆる『2001年宇宙の旅』と同じ。
数十万年、数億年の年月をかけた、神(宇宙人)による地球改変の壮大な計画なのです。
ゼーレが宇宙人ということになると、宇宙から神(アダムとリリス)と、神じゃない存在(ゼーレ)がやってきて、地球という舞台で対立していて、人間がそれに巻き込まれているというバカな図式にしかなりませんよね。
「神vs人間」だからこそストーリーとして美しく構成された面白い映画だったんです。
第一、シンエヴァには「神殺し=父殺し=親殺し」というモチーフがありました。
神(リリス)に、神が産み出した存在(人間)が抗うから、「神殺し=親殺し」になる。
ここにシンジ君がゲンドウに戦いを挑むドラマが美しく重なるんです。
旧エヴァでゼーレは裏死海文書に書かれた神の言葉を正しく実行する宗教団体でしたが、新劇場版では神に抗い自らが神に成り代わろうとする邪教になっています。
どちらにしろ、天から降臨した神(宇宙人)と、地上に生まれて天を崇める(または、抗う)人間(ゼーレ)という図式は動かし難いエヴァの基本構造だと思ってました。
それとも、宇宙のどこかでゼーレは神によって産み出されて、地球に神と一緒にやってきて、神は地球で改めて人間を産んで、で、その人間を巻き込んでゼーレが神を崇めたりゼーレと神が戦ったりしている、ってことですか?
なんだか物語としてブサイクですね、それだと。
それとも、旧エヴァの綾波レイとか渚カヲル君みたいに、ゼーレもアダムやリリスのような超越した生命体で、人間のカラダで生きている、ということですか?
「人間のカラダを借りて神の化身が生きている」というモチーフは、綾波レイと渚カヲル(恐らくマリも)、2人か3人だけだから、ストーリー上で神秘的なアクセントになってて面白いんじゃないかなあ。
エヴァはいろんな解釈があっていいと思いますけど、「ゼーレ=宇宙人」説だけは私にはエヴァを詰まらなくしすぎて残念ですね。
もし「ゼーレ=宇宙人」という説が本当だとしたら、他の大局的な面白いアウトラインが見出せない限り、私のエヴァの評価は少し下がりますね。
それから、私が「ゼーレ=宇宙人」説がクソつまらないと考える理由はもうひとつあって、実はそちらの方が重要なんですが、長くなるのでそれはYouTubeでお話ししたいと思います。
マリはアスカクローンの生成にも関わり、しかも自分もクローンであるということから、アスカは自分の娘であり姉妹でもあるという感情があって、あの空を見上げるカットの表情になったのではと思っています。「姫」と呼ぶのも、そんなところから来ているのでは。
マリは人外であったかどうかはわかりませんが、ゼーレの方は宇宙から来た者たちであることはかなり濃厚ですね。マリも宇宙人だとすれば、ユイとともに「人類補完計画」の書き換えのために働く、アンチゼーレ星人だったわけですね。
なるほど、マリがアスカを「姫」と呼ぶ理由、あの空を見る表情に表れている感慨はそれで説明がつきますね。
アニメの演出として「知っている」人の表情と「今まさにそれを知った(思い至った)」人の表情は明らかに違いますよね。
私には、空を見上げるマリの表情は後者に思えました。
「あらかじめ何かを知っていた」なら、口をキリッと閉じて、「いよいよその時がくるんだわ」みたいな表情に描くと思います。
あれが「あらかじめ何かを知っていた」人の顔なら、お話しを考えた人と絵を描いた人は意思の疎通がうまくいってなかった気がしますね。
では、マリは何を知ったのか?
編集からして、直前にトウジが「ハズレ」と言ったこととの関連であることは明らかですよね。
「ああ、運命が変わったんだ」「それに自分が関係しているんだ…」というところまでは容易に想像がつきますよね。
どう運命が変わったのか、はトウジに代わってアスカが3号機のパイロットになったこと。
どう関係しているのか、は、確かにペペロンチーノさんのそのご見解もありそうですね。