映画『武曲 MUKOKU』の感想 – 一番大切なところは目に見えない

武曲 MUKOKU
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作品データ

監督:熊切和嘉
原作:藤沢周
脚本:高田亮
出演:綾野剛、村上虹郎、前田敦子、片岡礼子、神野三鈴、康すおん、風吹ジュン、小林薫、柄本明
音楽:池永正二
制作:2017年、日本

あらすじ(ネタバレなし)

剣道五段の矢田部研吾は、ある出来事により酒に溺れ、自堕落な生活を送っていた。
彼の母親はすでに他界し、以前は”殺人剣の使い手”として名をはせた父親も、入院中で植物状態だった。

ある日、研吾は剣道をはじめたばかりの高校生・羽田融に引き合わされ、くすぶらせていた剣士の本能をたぎらせてゆく。

『武曲 MUKOKU』の感想

武士道と云うは殺す事と見付けたり

この映画は前に予告編を見て、あまりのその鬼気迫る凄みに圧倒されて、思わず「見たい!」と思ったものだ。
やはり思った通りのスゴい映画だった。

それにしても何気に剣道の映画って初めて見たかも。

「剣道」と聞くと、即座に思い浮かぶのが「武士道」。
そう、剣道とは、現代に伝わる武士道なのだといえる。

しかしこの映画の最初の方を見ればすぐにわかることだが、この映画で描かれているのは武士道とは言っても、江戸時代的な武士道ではない。
相手を殺すための剣の道、すなわち戦国時代的な武士道なのだ。

そもそも武士道とは、江戸時代に入って天下泰平の世になり、戦うことを忘れ、サラリーマンと化した武士たちが、なんとかその武士としての精神(こころ)をマニュアル化させることで継承しようとしたものである。

しかるにこの映画で描かれている武士道とは、あくまでも戦い。
実戦から離れてその精神性のみが言語化された武士道ではなく、もっと野生的な、目の前の相手を倒すための、理屈を超えたところにある武士道なのだ。
そんな大それたものが、現代的な若者の剣道を通してうまく描かれている。

例えばこんな会話のやりとり。

「剣道は競技なんだから」
「殺し合いでしょ」

素手の戦いが図らずも表現したこと

戦うシーンで、しばし剣を捨てての肉弾戦が描かれるところにもこの戦国時代的な武士道のモチーフの符号が感じられた。

本来の戦における武士どうしの戦いにおいては、しばし戦いの最中に剣が折れたり接近戦になったりした場合の補完として、素手による戦いの技術がなければ真の勝利は危ういという。

そもそも日本古来の武術である骨法などの起源も、実戦における武士どうしの素手の戦いが発達したものだという説があるくらいだ。

この映画の前半ではしばし主人公が剣を持ったまま相手を蹴ったり、剣を捨てて殴ったりするくだりがある。

意図したものかはあやしいが、ここにも単なる競技としての剣道を超えた「実戦」としての武士道が描かれていたと言えるのではなかろうか。

↓ここから先はネタバレあり↓

武曲 MUKOKU

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心、麻の如く乱れ…

しかるにまた、若者たちが戦うその目的に目を向けてみると、これが戦国時代のそれとは明らかに違うものがあるのであった。

若者たちはなぜ戦うのか。

天下統一とか、下剋上とか、そんなものではない。

あくまでも自分との戦いなのである。

麻の如く乱れたのものとは、天下にあらず、その心なのであった。

自らの剣で、父を叩きのめしてしまった研吾。
その時以来、彼は酒と女に溺れ、自堕落な生活を送っていた。

つまりこの映画は、剣道を通して主人公が、心の戦国時代を乗り越える物語なのである。

ラストについて考察 – 本当に大切なところは目に見えない

そしてラスト。

融は「無心」、研吾は「心鐡」という手ぬぐいを頭にくるんで戦う。

融はラップという、言葉を主体とした音楽にハマっていた。
そんな融が、剣道を通して言葉を超え、無心、すなわち空の心を手に入れる。
(タイトルの『武曲』の「曲」がここにかかっている)

武曲 MUKOKU

「無心」(出典:amazon

対して、研吾は親殺しの罪に苛まれ、乱れた心を、剣道を通して乗り越える。
そして鉄のように強い心を手に入れる。

武曲 MUKOKU

「心鐡」(「鐡」は「鉄」の本字である。つまり「心鉄」)
(出典:amazon

こうして、最後は空の心と、剛の心が果たし合うのだ。
(演じる役者の名に「虹」と「剛」の字がみえるところにも妙を感じる)

ここで「無心」と「心鐡」といった具合に、「心」の文字が上下入れ違いになっているところに注目したい。
また、ふたりがそれらの文字が書かれた手ぬぐいをかざすとき、左右が逆になっているところにも注目したい。

すなわち、ここで象徴されているのは対極。

武曲 MUKOKU

この次の瞬間の暗転に注目(出典:amazon

最後、お互いの剣が相手の急所を突かんとするその刹那、画面は暗転。
ここでわれわれの脳裏に浮かんでくるのは、映画のストーリーを通して研ぎ澄まされてきた、鮮やかな太極図なのである。

なんという完璧なラスト。

タイトルの『武曲』は、同時に「武極」なのかもしれない。

この暗転してから字幕が流れるまでの7秒の漆黒に浮かんでくる、肉眼では見えぬ太極図こそ、この映画が描きたかった本当の部分なのではなかろうか。

本当に大事なところは目に見えない。

日本文化は察する文化なのだ。

これは清いまでに純粋な、日本の映画なのである。

太極図

この映画を見終わった瞬間の私のアタマの中

評価

日本人として、この映画の素晴らしさをわかることができて、心からよかったと思う。
★★★★

Good Movie 認定


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原作『武曲 (文春文庫)』

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