アニメ『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』の感想 – 不満の残る大傑作

ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない
出典:amazon
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作品データ

監督:津田尚克
原作:荒木飛呂彦
脚本:小林靖子、ヤスカワショウゴ、ふでやすかずゆき、他
出演:小野友樹、梶裕貴、高木渉、櫻井孝宏、小野大輔、森川智之、石塚運昇、大川透
音楽:菅野祐悟
制作:2016年、日本

あらすじ(ネタバレなし)

1999年。日本のM県S市の杜王町に住む高校生の東方仗助は、海洋冒険家の空条承太郎の訪問を受ける。
仗助は承太郎の祖父ジョセフ・ジョースターの隠し子なのである。
承太郎は仗助に遺産配分のこと、それから杜王町に邪悪なスタンド使いが潜んでいることを伝える。
その日を境に、仗助の奇妙な日常が始まった。

『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない』の感想

ジョジョの第4部については、言いたいことがあるのだ。

しかしその前に、普通の感想からはじめよう。

後で言うつもりだが、私が心の中に何十年もかかえている不満は横に置いといて、この第4部のアニメ化は至極おもしろかった。

第3部で開発された「スタンド」というアイデアが自由な広がりをみせはじめ、杜王町を舞台にした日常系のストーリーに絶妙にうまくハマっている。

これが後の第5部になるとちょっとネタ切れの感が出てきたりして、例えば第5部に出てくる「エアロスミス」なんて、この第4部の「バッドカンパニー」の一部をショボく使い回したみたいな印象しかない。

山岸由花子の髪の毛と一体化したスタンド「ラブ・デラックス」や、小さなミニオンズみたいなスタンドが蟻の大群みたいに仕事をこなす重ちーの「ハーヴェスト」、出世魚みたいに成長してゆくスタンド「エコーズ」など、毎回、次はどんなスタンドがどんな形で登場するのか、楽しみでしょうがなかった。

このおもしろさは第3部までのようなロードムービー形式の展開では味わえなかっただろう。
いわば杜王町というひとつの町にシチュエーションを限定したことで生まれた荒木飛呂彦先生のセンスの賜物なのだ。

そう、この第4部の最大のポイントは、この杜王町を舞台にした日常系テイストの導入にある。

そして私がこの記事で語りたいと思っているこの第4部に抱いている「不満」の源泉も実はここにあるのだ。

東方仗助

東方仗助(出典:amazon

原作漫画について – 斬新なコンセプト「日常系」+「バトル・アクション」

ジョジョの第4部に関しては、その出来不出来、おもしろさ云々の前に、前から気になっていることがあった。

その昔、私が初めてこの第4部をジャンプで読んだ時、そのコンセプトの斬新さに衝撃を受けた。

あの頃の私は毎週欠かさずジャンプを読んでおらず、確か最初に目にしたジョジョ第4部のシーンは、仗助と億泰が学校帰りに道草を食ってるシーンだったと思う。

「おっ! ジョジョの第4部がはじまってる! どれどれ・・・」と、ジャンプを開いた私は、まず初めに自分の目を疑い、そして次の瞬間、すべてを理解した。

そうか、ジョジョ第4部で荒木飛呂彦先生は、『サザエさん』とか『ちびまる子ちゃん』とか『クレヨンしんちゃん』などのような、日常系漫画のテイストを、バトル・アクション漫画と融合させたのか!と。

もう荒木飛呂彦先生のその斬新なセンスに脱帽とびこえてハゲになるかと思った。

最初に出てくるスタンド遣い・片桐安十郎(通称:アンジェロ)が倒されて岩になり、町の名所になるとか、序盤で恐ろしい敵だったスタンド「サーフィス」の使い手・間田敏和が、後のエピソードで普通に主人公の同級生として「漫画家の家に遊びに行こうぜ」と誘う展開があるとか。

この、日常の中に戦いがあり、戦いと隣り合わせに日常がある、という画期的なコンセプトに私は酔いしれながら第4部を読みすすめていった。

ところが、である。

ジョジョ第4部は後半からおかしなことになってくる。

なんと世の中にはこの「日常系」+「バトル・アクション」のコンセプトがわからない人がいるらしく、ジャンプの編集部に投書があったという話しを聞いたのだ。

曰く、ジョジョ第4部には「ストーリー性がない」「仲間集めの過程が長くて、なかなかストーリーがはじまらない」「ラスボスがなかなか出てこない」「ジョジョらしくない」という声があがり、ついに編集部から荒木飛呂彦先生に「ちゃんとラスボス・キャラを作って、クライマックスの流れを作ってほしい」と要請があり、吉良吉影というキャラクターが設けられ、それまで出てきたスタンド遣いたちが力を合わせてラスボスに立ち向かう、という展開になった、というのだ。

私はこの情報を何かの記事で90年代に読んだのだが、ネットで検索してもどこにも出てないので、うろ覚えの記憶に従って書いているので、間違っていたら申し訳ない。
正確な記事をご存知の方がおられたら、ぜひコメント欄に情報をいただけたら嬉しい。

とにかく私はこの後半の展開が不満でしょうがないのである。

いや、おもしろいことはおもしろいのだ。

ラスボスを「町の平和を脅かす殺人鬼」にすることで、ギリギリ「日常系」のコンセプトは守りつつ、ちゃんと普通のバトル・アクション漫画らしいクライマックスの流れを作ることに成功している。
ここは荒木飛呂彦先生の天才的な想像力がモノを言っていると思う。

しかし、どう考えてもこの流れは、それまでの過程を「仲間集め」の概念に還元してしまう愚挙であり、バトル漫画に日常系のテイストを取り入れるという第4部最大の特徴を薄めることになってしまった。

誤解しないように繰り返し言っておくが、私は第4部は最後までおもしろいと思ったし、出来に関しては文句を言うつもりはまったくない。

ただ、もし「ラスボス」+「クライマックス」の要求が最初から無く、あくまでも当初の予定通り「日常系」+「バトル・アクション」のコンセプト100%のまま完結してくれていたら、どんな作品になっていたのだろうかと思うと、やっぱりそれは私の中でジョジョ第4部に残されたひとつのわだかまりとして心の片隅に残ってしまうのである。

とくに物語の後半、それまで登場したスタンド遣いが一列横にズラーッと並んだコマは、私の中で「ジョジョは終わった・・・」と思わされた瞬間だった。
あのひとコマによって、それまでの「日常系」コンセプトが、第3部の序盤のような「仲間集めの長いやつ」という概念に上書きされてしまったのだ。

ちょっと前置きが長くなってしまったが、ここまでが原作の漫画について、どうしてもこれだけは言っておきたかった雑感である。

やっとアニメの感想 – オープニング曲で伝わってくる限りない正しさについて

さて、ここからがアニメ化の感想。

私がこのジョジョ第4部のアニメ化を聞いた時、即座に頭に浮かんだのは、「ちゃんと第4部のコンセプトを理解しているクリエイターによって作られているのだろうか?」という懸念である。

どうしてもジョジョ第4部というと、この点が気になってしまうのだ。

原作通りにいけば後半、吉良吉影が出てきて「ラスボス」+「クライマックス」の流れになるのはもうしょうがないとして、せめて好きな前半くらいは当初の「日常系」+「バトルアクション」のコンセプトを正確に映像化してほしい。

そしていよいよ番組がスタートして、最初のテーマ曲『Crazy Noisy Bizarre Town』がかかったとき、私の懸念は杞憂であるとわかってホッとした。

この、のどかな曲調。

ああ、ジョジョ第4部のアニメはちゃんとコンセプトを理解しているクリエイターが作ってくれてるんだ、と胸を撫で下ろした。

本編もアメコミ調のカラーリング、コミカル演出、その日常ののどかな風景を切り裂くように始まるキレのあるカッコいいスタンド・バトルの数々。
音楽も含めて音響効果がまた素晴らしい。

ジョジョのアニメ化としては第2部に並ぶ傑作だと思った。

願わくば最初のオープニング曲はもう少し長い期間、使って欲しかったし、ずいぶんコロコロとオープニングが変わったわりには『Crazy Noisy Bizarre Town』みたいな「日常系」にふさわしい「のんびり系」の曲が他になかったのは少し物足りないが、まず完璧と言っていい文句なしのアニメ化であった。

ちなみにインターネットの書き込みで、最初のオープニング曲『Crazy Noisy Bizarre Town』を「ジョジョにしては曲調がのんびりしすぎ」と言っている方がいたのを目にした。
また、「前半の仲間集めの部分が長い」とか、「なかなか本筋のストーリーが始まらない」とか「ストーリーに関係ないエピソードが多い」とか、そういう感想をもらしている人もちらほら。

感じ方は人それぞれだから、人の感想に文句を言うつもりはないけれども、うるさい声をあげて影響を与えるのはやめてほしいとつくづく思う。

こういうことを言っているような人たちがジャンプ連載中に声をあげて、後半の路線を変えさせてしまったのかもしれないと思うと、苦々しい想いは捨てきれない私なのである。

評価

まあ、過去に不満を抱いた思い出がよみがえってしまうので1点引いたけれども、アニメとしてはとにかく最高におもしろい大傑作。
★★★★

Good Movie 認定


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