作品データ
原題:Fargo Season 2
監督:アダム・バーンスタイン、他
脚本:ノア・ホーリー、他
出演:パトリック・ウィルソン、テッド・ダンソン、キルスティン・ダンスト、ジェシー・プレモンス、ジーン・スマート、ブルース・キャンベル
制作:2015年、アメリカ
あらすじ(ネタバレなし)
ファーゴのギャング”ゲアハルト一家”の息子ライが判事を殺し、その直後に美容師のペギーの車に轢かれる。ペギーと夫で肉屋店員のエドは、轢いたライを殺し、死体を処理する。保安官のハンと警察官ルー・ソルヴァーソンが捜査を開始する。カンザス・シティのギャングがゲアハルト家の縄張りを傘下に収めようとして抗争に発展する。エドとペギーはギャングたちの抗争に巻き込まれてゆく。
ドラマ『FARGO/ファーゴ』シーズン2の感想
舞台は70年代。
シーズン1とまたぜんぜん違ったストーリー。
この、いちいち視聴者の思考の空白を突いてくる切り口は素晴らしい。
しかし見ていくうちに、だんだんファーゴだなあって感じになってくる。
シーズン1と比べてビックリな展開は少ないが、コーエン兄弟っぽさはむしろ増していて、1話1話がコーエン兄弟のミニ映画を見ているみたい。
相変わらずコーエン兄弟の映画のオマージュが目白押しだが、映画『ファーゴ』以外では『バートン・フィンク』が多いように感じた。
第6話では箱に入った〇〇まで出てきて、あれってオマージュによるネタバレってやつだろうか。
あと、シーズン1から『ミラーズ・クロッシング』のアレがないな、と思って見ていたのだが、お待たせしました。今シーズンで出てきますよ。
約束したおぼえはないが、やっぱり約束を裏切らないドラマだな、と思った。
今シーズンの目玉は圧倒的にキルスティン・ダンストだと思っていたのだが、これがまた期待をはるかに上回るおもしろい役どころ。
あと、メイン以外のキャスティングでおもしろかったのは、レーガン大統領を演じるブルース・キャンベル。これには意表を突かれた。
そういえば彼は映画『ファーゴ』でテレビ画面に映るソープオペラに出ていたな。
シーズン1のキー&ピールといい、このドラマ、キャスティングでもいろいろ楽しませてくれる。
それから音楽について。
マーラーの交響曲第2番『復活』にそっくりな、アレンジというには違いすぎるけども、パクリというには十分すぎるくらい似ている曲があって、かかるたびに苦笑させられた。
さて、ここからが本題。
このドラマの素晴らしさを語るには、なんといってもキャラクターの妙に触れねばなるまい。
シーズン1ではレスターというキャラクターが重要なキーを演じていた。
今シーズンのキーはなんといってもキルスティン・ダンスト演ずるペギーである。
↓ここから先はネタバレあり↓
無茶苦茶な性格のペギー。
そんなペギーを、従順に支える優しい旦那さんのエド。
この平凡な夫婦が、マフィアの抗争に巻き込まれてしまう。
ちょっとバカな選択をしすぎるし、奥さんは支離滅裂だけど、このペギーとエドの夫婦愛が微笑ましくて、物語の前半は、この二人だけには幸せになってほしいなあ、と思いながら見ていた。
しかし見ていくうちに、だんだんわかってくるのは、ペギーは性格が無茶苦茶なんじゃなくて、完全に頭がオカシイ人なのだ。
判断力は狂ってるし、ひとりで会話していたり、ありもしないモノを見たりしているのに、本物のUFOが現れたときには知らん顔。驚いているエドに「単なる円盤よ(これ、何気にパワーワード)」と一蹴する支離滅裂さ。
これまでは頭がおかしくても、平凡でシンプルな日常を生きている限り、それがあまり表面化していなかった、というだけだったのだ。
事件にしても、ペギーたちはマフィアの抗争に巻き込まれた側なのだと思っていたが、実際は逆だった。
実は全体の話しをややこしくしているのはペギーであり、このペギーという頭のおかしな女ひとりにマフィアたちが振り回されている、というのが実際の状況だったのだ。
そして最終話。
銃で撃たれて重体のエドと一緒にスーパーの冷蔵庫に逃げ込んだペギー。
そこでエドは出血多量で死ぬのだが、その直前ペギーに、きみとはもうやっていけない、と告げる。
ペギーを見つめるエドのあの目。
ずっとペギーを支え、何があってもペギーの味方だったエドだったのに。
そう、エドは最後の最後に、ペギーが頭がオカシイことに気がついてしまったのだ。
もちろん素朴な男だから、彼独自の言葉でそれを理解するんだけれども。
You’re always trying to fix everything, but sometimes nothing’s broken.
(きみは何も壊れていなくても、とにかく何でもかんでも修正しようとする)
唯一の味方であり、理解者であったエドを失い、ひとり残されたペギーは悲しみに沈む、だったら美しい悲劇になったのに。
エドは死ぬ寸前にペギーがヘンなことに気がつき、ひとりになったペギーは、女性の独立を謳う。
こんな予測不能で斬新な悲劇の形もあったもんだ!
ちなみにこのエドは、映画『ファーゴ』に出てくるノームのメタファー的なキャラクターなのだな。
そしてこのシーズン2のエンディングは、映画版ラストのノーム夫妻の夫婦像を歪に逆転させたものだと解釈できる。
また、先に引用したエドのセリフは、そのままペギーが主張するこの時代のウーマンリブ運動への批評にもなっている。
深い。
シーズン1のレスターの人物造形と、そのストーリーとの絡ませ方があまりにも絶妙だったので、もうこれ以上のものはないと思っていたが、その予想を完全に裏切ってくれた。
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