作品データ
副題:EVANGELION:2.0 YOU CAN (NOT) ADVANCE.
総監督:庵野秀明
監督:摩砂雪、鶴巻和哉
原作:庵野秀明
脚本:庵野秀明
出演:緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、坂本真綾
音楽:鷺巣詩郎
制作:2009年、日本
あらすじ(ネタバレなし)
旧北極のネルフ基地で、捕獲され実験に使われていた第3使徒が封印から目覚め、暴れだす。
これに対し真希波・マリ・イラストリアスが乗るエヴァンゲリオン仮設5号機が出撃。
仮設5号機は第3使徒を倒し、マリを脱出させた直後に自爆する。
日本を第7使徒が襲撃。
そこに式波・アスカ・ラングレーが搭乗するエヴァンゲリオン2号機が現れ、使徒を撃破する。
こうして2号機とともに来日したアスカは、シンジと同じくミサトの家に同居し、同じ中学校に通うことになる。
碇ゲンドウと冬月コウゾウがゼーレの月面基地「タブハベース」の視察でネルフを留守にしている間、衛星軌道上に第8使徒が出現、ネルフ本部への落下攻撃がほぼ確実と判明する。
ミサトはシンジのエヴァ初号機、綾波レイの零号機、アスカの2号機の3機によって使徒を受け止める作戦を立案。
作戦は成功し、使徒は撃破される。
レイはシンジとゲンドウに和解してほしいと、食事会を計画する。
ネルフの北米第2支部がエヴァ4号機の起動実験中に大爆発を起こし消滅。
その事故を受けて、アメリカで開発されていた3号機が急遽日本に移送されることになった。
3号機の起動実験の日がレイが開催する食事会と同日であることに気づいたアスカは、自ら3号機の実験パイロットに志願する。
実験当日、アスカの乗った3号機が暴走。
シンジの乗る初号機が出撃するが、3号機にはアスカが乗っているので、シンジは戦うことを拒否する。
ゲンドウは無理矢理、初号機を無人操縦システム「ダミーシステム」へ切り替えさせ、使徒と化した3号機を倒させた。
シンジはゲンドウのやり方に激昂し、エヴァのパイロットを辞めてミサトの家を出てゆく。
新たに第10使徒が出現。
極秘に日本にやってきていたマリが2号機に乗って戦うが、第10使徒の強力なATフィールドに太刀打ちできない。
そこに零号機に乗ったレイが爆弾を持って現れ、使徒に自爆攻撃を試みるが、失敗。
レイは使徒に零号機ごと食われる。
これをシェルターで見ていたシンジはまたエヴァに乗ることを決意。
レイを救うべく、初号機で出撃するのであった。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の考察&感想
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』公開にそなえて、エヴァンゲリオンを旧作からすべて見直して考察する記事の第4回目。
第1回目はTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』の考察。
第2回目は映画『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air / まごころを、君に』の考察。
第3回目はアニメ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』の考察&感想。
今回は『:破』の考察&感想です。
ちなみに最初に前提を書いておくと、私は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』は旧エヴァの完結編から新たに人類にATフィールドが再生された後の物語だと考えており、このブログではこの文脈で一貫した解釈を通しているのでご了承ください。
新劇場版におけるターニングポイント
この『:破』という映画は、基本的に旧エヴァのストーリーラインをなぞってはいるが、新しいキャラクターが登場したり、大筋で大変革があったりしつつ、最後はまったく違うエンディングを迎える。
そもそも新劇場版は旧エヴァと同じ物語ではじまり、少しづつ違っていって、最後は完全に新しいものになる、というふれこみだった。
この「同じ」からはじまり次第に「変化」していって、最後は「シン」になるという点が、まさにこの新劇場版のテーマそのものに関わるポイントじゃなかろうか、と最近、私は思うようになっている。
その、「変化」のターニングポイントとなるのがこの『:破』という作品であり、大きく異なる方向へとエヴァの物語がシフトしてゆく分岐点となっているのだ。
↓ここから先はネタバレあり↓

出典:amazon
綾波の変化とリツコの「あり得ないわ」発言
『:破』でいちばん印象に残る旧エヴァとの大きな違いは、綾波レイの変化、それに伴うシンジ君との交流である。
綾波レイが料理をおぼえて食事会を開き、シンジとゲンドウをぽかぽか仲良くさせようとするところは、旧エヴァでは考えられない展開だっただけに、ちょっと驚いた。
このエヴァらしからぬキラキラした展開の物語の副題に、破滅の「破」がつけられているところが興味深い。
やっぱりエヴァはエヴァなのだ。
この綾波に訪れた変化は何が原因なのだろうか?
旧エヴァと何が違ったのだろうか?
何か決定的な要因があることは確かである。
ふと、綾波レイからの招待状を受け取ったリツコとミサトの会話を思い出す。
リツコ「何が原因かしら?」
ミサト「愛、じゃないの?」
リツコ「まさか。あり得ないわ」
ここのリツコの「あり得ないわ」の言い方は、「あの子はこんなことをするような性格じゃないわ」というような意味での「あり得ないわ」とは明らかに違う。
もっと「科学的に不可能である」というようなニュアンスの「あり得ない」に見える。
綾波レイの変化は何故、科学者からみて「あり得ない」と目にうつるのか?
結論は急がず順に考察していこう。

通称「ぽか波」と呼ばれている『:破』の綾波レイ(出典:imdb)
ラストの渚カヲル君の言葉の真意
『:破』のサブタイトルは「YOU CAN (NOT) ADVANCE」。
つまり「前に進める(進めない)」
庵野秀明総監督が、「エヴァはくり返しの物語です。主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。わずかでも前に進もうとする、意思の話です」と発言している通り、「同じこと繰り返してしまう」と「それでも前に進もうとする」この2つの葛藤がそのまま表現されたようなサブタイトルだ。
前作『序』で、シンジ君をしてカヲル君は「また3番目とはね。変わらないね、君は」と言った。
そしてこの『:破』のラストで、カヲル君はシンジ君に対して「今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」とつぶやくのだ。
私はこれら『:序』と『:破』のラストのセリフは対になっていると感じている。
つまり『:序』で「また3番目とはね。変わらないな、君は」と言ったカヲル君の真意は、旧完結編でサードインパクトを中途半端に終わらせ、完全生命体への進化を放棄し、また人間として同じ人生を歩み始めた人類(シンジ君は人類のメタファーだと前に書いた)に、「それで本当に幸せだと言えるの君は?」とカヲル君は問うているのだ。
カヲル君が言う「また3番目とはね」の意味はつまり、「またサードインパクトに向かっている世界にいるんだね」ということである。
旧劇場版でシンジ君があのまま「変わって」いれば、次はフォース・インパクトに向かっていたはずだからだ。
だからこそ、この『:破』のラストでカヲル君は、「今度こそ君に、前に進む幸せというものを教えてあげたいんだ」言っているのではなかろうか。
碇シンジ君の「変わった」ところと、「相変わらず」なところ
カヲル君の言うように碇シンジは基本的に「相変わらず」だとはいえ、旧エヴァとくらべてかなり成長している。
例えば最初に逃げ出した時、旧エヴァでは仕方なくトボトボと連れ戻されたのに、『:序』では「ミサトさんのところに連れてってくださいっ!」と大きな声で叫んでみせた。
私は新劇場版は旧エヴァの続きの世界だという説を推しているのだが、シンジ君は意識上では記憶していないとはいえ、やはり旧世界観を経験したことで、潜在的に成長しているのである。
そんなシンジ君の成長の最大の変化は、クライマックスに大きな影響を与える。
第10使徒が現れた時、旧エヴァでは初号機が使途を捕食することでS2機関を取り入れ、それがラストのサード・インパクトのトリガーになる下地になったが、今回は逆に使途が零号機を綾波レイごと捕食し、そこに初号機にのったシンジ君が綾波を助けようとして接触したことで早々に同じ事態が起こる。
シンジ君の意思はいつも同じで、あくまでもヒトの形のままで「みんなと会いたい」、つまり「みんなと一緒にいたい」なのだ。
だから旧エヴァでは「またみんなと会いたい」と願ったがために、サード・インパクトは途中で崩壊したのだし、新劇場版では逆にヒトの形をした綾波レイを取り戻そうとして、サード・インパクトのトリガーとなる接触事故を起こすことになったのである。
カードが一枚少ない碇ゲンドウと、主導権を握るリリス
前回の記事で新劇場版のすべての黒幕はリリスだと予想した。
旧エヴァンゲリオンでは、「裏死海文書」という予言書の通りに人類補完計画を進めようとするゼーレと、その実行機関ネルフを任されたのをいいことに、自らの個人的な願望を実現させるためにゼーレを裏切ろうとする碇ゲンドウとの対決が主軸だった。
そしてリリスやアダムはこの2組に利用されている立場だった。
しかるに新劇場版では、すべての主導権はリリスであると私は考えている。
セリフの中でゼーレは「リリスとの契約」「リリスの復活」そして「真のエヴァンゲリオンの誕生」と、その目的を明確に口にしている。
そして、死海文書(「裏」がついていない)の実行機関としてネルフにすべてを一任しているところまでは旧エヴァと一緒だが、新劇場版ではそれとは別に、死海文書外典という別の予言書をゼーレは所持している。
ゼーレはこの外典に書かれていることを、ネルフとは切り離されたところで独自に進めようとしているのだ。
つまり碇ゲンドウは旧エヴァンゲリオンではゼーレと並んで「すべてを知る」人物の双璧だったが、新劇場版では開示されているカードが1枚少ない。
旧エヴァと比べて碇ゲンドウの立ち位置が大きく違うのが新劇場版なのである。
ユイ – いるはずのない唯一の人物
ここで前回に少しほのめかした、新劇場版に唯一「いるはずのない人物」の存在がクローズアップされてくる。
サードインパクトが頓挫し、ATフィールドが再生されてふたたびヒトの形をとりもどし、同じ人生を再スタートさせた人類。
しかしここに、絶対に再生されるはずのない人物がひとりいる。
それがユイである。
なぜなら、ユイの魂は石になった初号機とともに、永遠に宇宙のどこかを彷徨っているはずだからだ。
それでは新劇場版でのユイの存在は人々の記憶の中だけの存在かというと、どうやらそういうわけでもなさそうである。
例えば第10使徒ゼルエルが現れて、初号機をダミープラグで起動させようとしたとき、碇ゲンドウは「なぜ私を拒絶する、ユイ」と言っていた。
つまりゲンドウはユイの魂が初号機に入っていると思っている。
もし新劇場版がパラレルワールドではなく、旧エヴァンゲリオンから再生された続きの世界観であるならば、そこにユイの魂が入っているわけがないのだ。
しかしこの矛盾は実は簡単に解ける。
私は新劇場版におけるユイは、最初からリリスの化身だったと考えている。
新劇場版におけるユイは最初からリリスだった説
これはあくまでも私の想像なのだが、リリスは何かしらの目的を実現させるために、死海文書外典を新たに作成し、それを新しく再生された世界のゼーレに委ね、記憶を消して、シンジ君の母ユイとして、人間世界に潜伏しているのではなかろうか。
こう考えるとわりと新劇場版の流れは驚くほどクリアに見えてくる。
とくにこの『:破』のストーリーの流れの根底にリリスの思惑があると考えると実にしっくりくる部分が多い。
例えば旧エヴァの第弐拾参話で、第16使徒アルミサエルに侵食された綾波レイが、「碇くんと一緒になりたい」という気持ちをふりきり、自爆して人類を救った件。
『:破』のラストで綾波レイ(リリス)は碇シンジと「ひとつになる」という、その積年の想いを実現させているではないか。
それに綾波レイが旧エヴァより人間ぽくなっているのも、元のリリスが旧エヴァで一度、人間の学びを経験していることを鑑みるととしっくりくる。
綾波レイが碇シンジを「もうエヴァに乗らなくてもいいように」しようと奮闘したり、碇ゲンドウとぽかぽか仲良くさせようとしたりすることも、旧エヴァには見られなかった進化を感じる。
先ほど言及したリツコの「まさか。ありえないわ」発言は、旧世界観を体験したリリスの成長がリツコの科学者としての見地を超えていることを示しているし、レイの愛の目覚めがリリスの思惑の一部である証拠だと思う。
ちなみに、先ほど「死海文書外典」はリリスが作成したものと書いた。
そもそも旧エヴァの「裏死海文書」は白い月に入っていたもので、アダムが作成したという説がある。
そう考えると、後から黒い月で地球にやってきたリリスが死海文書外典を新たに作成した、というのは実に対応的でしっくりくる説ではなかろうか。
また、外典の「外」は、他の世界観のこと、つまり旧エヴァを意味しているように思う。
つまり「死海文書外典」とは、旧エヴァでのカルマを果たす指南書のようなものなのではないかと私は考えている。
アスカの苗字は何故「式波」に変わっているのか?

苗字が「惣流」から「式波」に変わったアスカ(出典:imdb)
さて、リリスがユイの段階から人類として新劇場版の世界観に潜伏している件だが、これに符号する要素として、アスカの名字の違いがある。
旧エヴァでは「惣流」だったアスカの名字が新劇場版では「式波」に変わった。
名字が違うというのは、もう明らかに旧エヴァのときと母親が違う、ということだと思う。
旧エヴァで描かれていた、白痴になって自殺した母親に関するトラウマが描かれていないものうなずけるし、2号機のコアがアスカの母親であるという情報も描かれていない件とも符号する(だいたい新劇場版では「エヴァのコア=母親の魂」の概念があまり描かれていない)。
また、これは『:Q』で出てくる情報だが、ユイの名字も「碇」から「綾波」に変わっている。
そして注目したいのが、『:破』で初めて登場したキャラクター、真希波・マリ・イラストリアスの存在だ。
この子は検索して調べてみたところによると、エヴァンゲリオン漫画版でシンジ君のお母さんの大学時代の同級生として描かれているらしい。
こうしてみると、新劇場版でのいわゆる「仕込み」が、エヴァ・パイロットたちのお母さん世代のときに一斉に行われているのがわかる。
『:序』で冬月先生が「14年前からのシナリオ。運命を仕組まれた、子供達か」と言っていたことにも関連が見出せる。
そして、これらお母さん世代のキャラクターたちが「綾波」「式波」「真希波」と、すべて「波」の文字がついたの名字に統一されているところも重要だ。
「波」というのはいわゆる波動であり、何かしら高次元の波動をもった存在の象徴であり、生命エネルギーのメタファーでもあるのだ。
真希波・マリ・イラストリアスは人間じゃありません
ここで心にわいてくるのは、「マリの正体はけっきょく何なのか?」という問題だ。
旧エヴァにいた人物で、今回いるはずのない唯一の人物がユイだと私はさっき言ったけれども、逆に旧エヴァにいなかったはずの唯一の人物がこのマリである。
ここでヒントになるのが、冒頭のシーン。
第3の使徒との戦いの後、ユーロ・ネルフを脱出した加持さんに「大人の都合に子供を巻き込むのは気がひけるな」というセリフがある。
これに続けて、脱出したエントリープラグから出てきたマリがひと息ついて「自分の目的に大人を巻き込むのは気後れするな」とつぶやく。
こういう風に、同じようなセリフを2人の登場人物に連続して言わせるとき、シナリオのセオリーで考えると、片方が表面的な意味で、もう片方に裏の意味がある。
この場合、裏の意味があるのはマリのセリフの方だ。
つまり、マリは明らかに何かをたくらんでいるのである。
しかもそれが何かは、新劇場版における最大のキモなので、『シン』まで明かされない。
だいたい、旧エヴァでエヴァと使徒との戦いにいっさい関係なかったはずの人物が、再生された世界でいきなりエヴァのパイロットになるほどの関係者になるなんて、そんなことあるわけがない。
しかも、マリは碇ゲンドウを差し置いて、ゼーレと並んで「すべてを知る人物」タイプのキャラとして描かれているのである。
さらに、マリが第10の使徒と戦ってふっ飛ばされた時、「イテテ・・・死んじゃうとこだったにゃ」などと、生死の境目で悠長なセリフを吐いている。
明らかにマリは人間じゃ無いのだ。
綾波レイや渚カヲル君などと同種の存在なのである。
これはマリがシンジ君を「わんこ君」と呼んでいることにもつながる。
「わんこ」とはつまり「犬」。
人間に「おまわり」とか言われて同じところをくるくる回って喜んでいる生き物である。
そんなくるくる回って同じことを繰り返している人間を犬と呼べる視点は、人間を超えた存在だからこそ持てるのではないか。
また、マリがエヴァンゲリオンの裏コードを使って「ザ・ビースト」に変身するところにも注目したい。
この獣化したエヴァンゲリオンは明らかに豹とかパンサーとかジャガーとかクーガとか、ネコ科の動物に見える。
マリの口癖が「〜にゃ」であることにもひっかかる。
「人間=犬」との対立図式として「ヒトに非ざるモノ=猫」という構図がうっすら見えてくるではないか。
つまり異世界から新たに侵入してきたヒトに非ざる存在、それがマリである。
新劇場版のおける裏の対立構造
旧エヴァでは、“エヴァと使徒との戦い”という表面の裏に、“ゼーレvs碇ゲンドウ”という対立構造が隠されていた。
しかるに新劇場版では絶対的な存在であるリリスの前に、碇ゲンドウはこういった黒幕的な対立構造の範囲から外されている。
そこで新たな黒幕対決の対抗馬として登場したキャラクターがマリなのではなかろうか。
つまり旧エヴァにおける「エヴァvs使徒」の戦いの背後にある「ゼーレvs碇ゲンドウ」にあたる裏の対立構造として、新劇場版には「リリスvsマリ」の対立構造があるのだと私はみているのだ。
だいたい、碇ゲンドウは『:Q』や先行公開された新劇場版の冒頭10分の映像を見ると、完全に“モンスター化現象”を起こしているではないか。
つまり、オモテの対立構造と、その背後にあるウラの対立構造を、旧エヴァと新劇場版を比較して表にするとこういうことになるわけだ。
オモテの戦い | ウラでの対立 | |
---|---|---|
旧エヴァ | エヴァvs使徒 | 碇ゲンドウvsゼーレ |
新劇場版 | ヴィレvsネルフ | リリスvsマリ |
じゃあマリとは結局、なんなのか?
それは『:Q』のレビューで詳しく書きたいと思う。

旧エヴァで碇ゲンドウがゼーレを裏切ったように、マリはリリスを裏切る第3の黒幕だと私は予想している
(出典:imdb)
ネブカドネザルの鍵? 興味ありません
話しは変わって渚カヲル君について。
彼はもちろん、リリス側の人間として、ゼーレと共に動いているコマのひとつである(旧エヴァからつくづく思っていたことだが、このエヴァという物語、母性がテーマだけに、騙されたり利用されたり、男の神様の肩身がずごく狭い)。
で、途中、加持さんが碇ゲンドウに「ネブカドネザルの鍵」などという耳慣れないアイテムを渡すシーンがある。
ここは私はあまり興味がない部分で、というのも旧エヴァではこのシーンで加持さんがゲンドウに渡すのはアダムなのだが、新劇場版ではアダムの位置付けが違うので、ここにはアダム以外の要素をもってこないといけない。
そのために新たに考えられた設定、という以外の意味が私には今のところ見出せないのだ。
なので今のところは、この「ネブカドネザルの鍵」は、ゲンドウたちが目論んでいる人類補完計画を実現させるためのキーになるアイテム、という情報だけでいいんじゃ無いかと思っている。
とりあえずネブカドネザルの鍵をどう使ってどうなるのかは、『シン』で派手にやるつもりなんだろうから、重箱の隅をつつくような考察をするよりは、あえてまったく触れないで楽しみに待っていることにしたい。
第一、新劇場版では人類補完計画が最終目的なのではない気がする。
では新劇場版においてリリスが目指す最終目標とは何なのか?
月面基地を散策している碇ゲンドウを見て、渚カヲル君が「初めまして、お父さん」とつぶやく。
このセリフにかなり重要なヒントが隠されていると私はみているのだが、これも次作のネタバレになるので『:Q』のレビューで言おう。
まとめ
本日の記事ではこれらのことを話した。
- 新劇場版は「同じ」ではじまり「変化」してゆき最後は「シン」になる。この点に最大のポイントが隠されている。『:破』はそのターニングポイントとなる重要な作品。
- 碇シンジ君や綾波レイのメンタルに成長がみられるのは、旧エヴァの世界観を体験しているから。
- ラストのカヲル君のセリフは「今度こそ君に、前に進む幸せというものを教えてあげたいんだ」という意味である。
- 旧エヴァとくらべてゲンドウは開示されているカードが1枚少ない。そのかわり、マリが新たに「すべてを知る人物」的な立場で登場している。
- 新劇場版におけるユイは、最初からリリスの化身である。
- 裏死海文書はアダムが作成したのに対して、死海文書外典はリリスが作成したもの。
- 新劇場版ではパイロットの親世代でリリスによるすべての「仕込み」が完了している。
- 真希波・マリ・イラストリアスは、綾波レイや渚カヲルと同種の存在である。
- 旧エヴァで「碇ゲンドウvsゼーレ」にあたる裏の対立構造が、新劇場版では「リリスvsマリ」である。
かなり大冒険予測をぶちまけたので、爽快にハズしたときが楽しみだ。
そして次回以降で語る予定の課題。
- 真希波・マリ・イラストリアスの正体とは?
- マリの「自分の目的に大人を巻き込むのは気後れするな」の真意
- 渚カヲル君の「初めまして、お父さん」の真意
命知らずの大予想は続きます。
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評価
好きなところはやはり、初号機が3号機を殲滅するときに流れる「また会う日まで」と、シンジがレイを救うときに流れる「翼をください」この2曲。
「あざといなあ」と思いつつ、いつまでも心に残る印象的なシーンだった。
★★★★★
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