作品データ
監督: 五社英雄
原作: 宮尾登美子
脚本: 高田宏治
出演: 仲代達矢、夏目雅子、岩下志麻、佳那晃子、仙道敦子、中村錦之助
音楽: 菅野光亮
制作: 1982年、日本
あらすじ(ネタバレなし)
大正から昭和にかけての高知。
土佐の侠客「鬼政(おにまさ)」こと鬼龍院政五郎は、並外れた度胸と侠気でその名を轟かせていた。
物語は、鬼政の養女となった松恵の視点から、鬼龍院家の栄枯盛衰を追ってゆく。
鬼政には実の娘・花子が誕生し、彼女は甘やかされて育つ。
一方、賢明で芯の強い松恵は、鬼政の波乱に満ちた生き様を誰よりも近くで見守り、自らも過酷な運命に立ち向かってゆく。
『鬼龍院花子の生涯』の感想
この映画はなんと言ってもタイトルが重要なのだ。
タイトルを見て、そして本編を見て、「なるほど、うまいタイトルだな!」と思うか、「なんでこのタイトル?」と思うかで感性がリトマス紙のように試されてる気がする。
(どちらが優劣ということはありません)
↓ここから先はネタバレあり↓

出典:amazon
面白いことに、タイトルにある鬼龍院花子はほとんど映画の内容には関係ないキャラクターである。
ストーリー的に、重要な事件のきっかけになるという点では花子は関係ありありだが、この映画の核となる「精神」の部分にはどうでもいい人物である。
この映画は花子の義理の姉である松恵、そして2人の父・鬼政(おにまさ)の物語なのだ。
しかしだからこそ、この映画のタイトルは『鬼龍院花子の生涯』じゃないとダメなのである。
タイトルはある種の皮肉のこもったミスリードだとも言える。
この映画を一回最後まで見て、このミスリードがわかった上で改めて見直すと、また違った面白さがある。
私はこの映画ほど「人間」という生き物の興味深い多面性が面白く描かれた映画もなかなかないと思っている。
そしてその人間の面白さは、タイトルが『鬼龍院花子の生涯』だからこそ強烈に印象づけられているのだ。
例えば冒頭のシーン。
初見の方は、まず『鬼龍院花子の生涯』というタイトルを見て、「ああ、この映画は鬼龍院花子という何かしらスゴい人物の壮絶で波乱万丈な生涯を描いた映画か何かだな」と勘違いをする。
冒頭のシーンで鬼龍院花子の死を前にして涙を流す松恵を見て、観客はその憶測通り、花子の人物像を大きく見誤る。
最後まで見ると、冒頭で松恵が流した涙が意味していたものとは、こんな血の繋がっていないとるに足らない人物でも、同じ家族としての絆を忘れていない、松恵の人間の深さを表現していたのだとわかるのだ。
この松恵を演ずる夏目雅子の素晴らしさ。
松恵は、生まれ持った気質はとてもじゃないけどヤクザの娘にはそぐわない。
本来ならもっと真っ当な人生を送れたであろう才色兼備な女性。
それが何の因果かヤクザの娘にもらわれ、鬼政の娘として立派に育った。
血の繋がっている親子以上の絆も生まれ、ここぞという場面ではヤクザの娘さながらに「なめえたらいかんぜよ」と言い放つ。
人間の面白さである。
また、この映画最大の感動的なシーン。
クライマックスの直前、娘の花子を取り戻すため、死にに行く鬼政とそれを見送る松恵が抱き合って涙を流す。
見ているこちらも涙無しには見れないシーンだが、これがこの後に訪れるオチを知って2回目をみると、なんとも言えないユーモアを伴って見えてくる。
二人が真剣になればなるほど、滑稽さが増してくる。
しかしこのシーンの面白いところは、その滑稽さが感動を少しも損ねないばかりか、むしろ引き立ててもいるところだ。
この不思議に折り重なった悲劇と喜劇の狭間に、この映画が描いた人間模様のおもしろさが宿っている。
そしてもうひとり、忘れてはならないのが、鬼政の奥さん役の岩下志麻の抑えた名演。
『スカーフェイス』のミシェル・ファイファーを思い出すが、もちろん比べられるようなものでもない。
これらを振り返って改めてわかるのは、この映画は鬼政とその奥さん、そして松恵の、血の繋がっていない親子三人の絆の物語だということなのだ。
鬼龍院花子の存在はその絆の中心に位置する軸であり、だからこそ花子がタイトルになっていて尚、カラッポなキャラクターに描かれていることに意味があるんじゃないかと思う。
評価
仲代達矢・岩下志麻・夏目雅子の名演
★★★★★
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