作品データ
監督:山田洋次
原作:山田洋次
脚本:山田洋次、朝間義隆
出演:渥美清、太地喜和子、岡田嘉子、宇野重吉
音楽:山本直純
制作:1976年、日本
あらすじ(ネタバレなし)
上野駅前の飲み屋で飲んでいた寅さん。
みずぼらしい老人と知り合い、寅屋に連れて帰る。
老人は寅屋を旅館と勘違いして横柄な態度をとる。
寅屋の皆は不満を抱きながらも、老人を手厚くもてなす。
実は老人は有名な画家の池ノ内青観であった。
勘違いに気づいた青観はお礼に、絵を描いて寅さんにあげる。
絵は7万円で売れるが、さくらはそんな大金をもらうほどのもてなしはしていないと思い、それを池ノ内家に返しにいく。
後日、旅先で寅さんは青観と再会する。
青観に誘われ、寅さんは市主催の宴会で接待を受ける。
そこで寅さんは芸者のぼたんと知り合うのであった。
『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』の感想
最近Netflixで山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズを第1作から順にすべて見ている。
数が多いので、全作を見終わったら寅さんシリーズの総括的な感想記事を書こうと思っているのだが、この作品だけはちょっと書いておきたいことがあったので、いったんこの作品単独で筆をとることにした。
それというのも、私はこの映画で日本人が忘れてはならない「和の精神」と「おもてなしの心」をしみじみと思い出したのだ。
まずはストーリーをじっくりふりかえってみる
この作品が驚異的に素晴らしいのは、この映画が実に見事に日本人特有の「和の精神」と「おもてなしの心」を描ききっている点である。
↓ここから先はネタバレあり↓
貧乏神をおもてなししたら、福の神だった、なんておとぎ話があるが、この映画の骨子となるお話しのモチーフはそれじゃないかと思う。
ここで改めて、この映画のストーリーを順を追ってふりかえってみよう。
飲み屋で知り合った一文無しのじいさんを、寅さんは家に連れて帰る。
寅屋の皆さんは何の見返りも期待せず、ただ寅さんが連れてきたじいさん、というだけで、ブツブツ文句を言いながらも、丁寧におもてなしをする。
ところが、そのじいさんは実は有名な画家の青観先生であった。
青観先生はおもてなしのお礼に、絵を描いて寅さんにあげる。
その絵は7万円になるが、さくらはそこまでの施しはしていないと、そのお金を青観先生にそっくり返してしまう。
その後、寅さんは旅先で地方の市長に招かれた青観先生と再会する。
青観先生は堅苦しい接待は苦手なのだが、ただかつての想い人と再会したいというだけで、そこに招かれていた。
青観先生は寅さんに接待の対象を押し付け、おもいびとと会っている。
寅さんは青観先生のかわりに連日豪奢な食事と華やかな芸者たちの接待を受ける。
後日、そこで知り合った芸者のぼたんが寅屋を訪ねてくる。
寅屋のみなさんはやはり寅さんの友達だというだけで、ぼたんをおもてなしする。
ぼたんは寅さんのお友達というだけで、タダでタコ社長の会社の社員の飲み会で芸者をやってあげる。
しかし、そんなぼたんは、悪いやつに200万円を騙しとられて悲しんでおり、今ひとつ気が晴れない。
それはぼたんの問題なのだが、ぼたんをおもてなししている寅屋のみなさんは、それを我が事のように困ってみせる。
寅さんは200万円を必ず取り返してこいと、タコ社長に頼む。
結局200万円を取り返してこれなかったタコ社長を、寅さんは本気になって怒る。
寅さんは弱り果て、青観先生のところに打診にいく。
寅さんに事情を聞いた青観先生は、ぼたんに絵を描いて送る。
ぼたんはその絵を市長に200万円で譲ってくれと頼まれるが、ぼたんはそれをお金にかえず、大切に家に飾っておく。
それを聞いた寅さんは、青観先生のいる方角に向かって手を合わせてお礼を言う。
以上がこの映画のストーリーである。
あくまでも日本人的な
驚くべきは、この映画、現代の個人主義的な考え方や、損得勘定の理屈で考えると、理解不能としか言い様のない支離滅裂なストーリーなのだが、日本人の目から見て、何ら不自然なことは見当たらないところだ。
金銭関係を超えた人情劇としてスッと心に入ってくるストーリーである。
客観的に見ても、日本人の「和の精神」「おもてなしの心」を軸に考えると、実にきれいに整合性がとれたお話しの構成だ。
見ようによっては、タコ社長がぼたんの金を会社を休んでまで取り返しに行く義理は無いし、それが失敗したかとて、タコ社長を怒鳴りつける寅さんの態度は理不尽極まりないかに見える。
青観先生だって、おもてなしを受けたのは寅屋のみなさんからであって、ぼたんに200万円の絵をプレゼントする義理は無い。
ここからちょっと深い文化的な話になるが、実はここには、古代から続く日本人特有の共同体のシステムがいきているのである。
「和の精神」と「おもてなしの心」は古来より、日本の共同体でシステム化されていた説
以前、日本の古代史に詳しい方に聞いたことがあるのだが、日本は古代から和の精神のようなものがシステムとして共同体での生活に組み込まれていたのだそうだ。
例えばAさんがBさんに何かをしてあげるとする。
BさんはAさんにお礼をしたいが、Bさんは今は助けを必要としていない。
その代わり、Cさんが困っているから、BさんはかわりにCさんを助けてあげる。
その時ちょうどCさんはAさんがほしいモノを持っていたから、CさんはAさんに施しをする。
そんな感じで、日本人は縄文時代から、自分の得意なモノを提供しあい、それが巧みに共同体のシステムに組み込まれていたのだそうだ。
そして肝心なことは、このシステムは誰かが誰かに最初に見返りを期待しない親切をしなければ、始まらない、ということなのである。
何千年にもわたって日本人の生活に組み込まれてきた「和の精神」「おもてなしの心」が近代にもまだ生きている。
その証拠がこの映画のストーリーにしっかり刻まれているのである。
その「和の精神」と「おもてなしの心」を発動させる最初のひと押しを買って出ているのが寅さんであり、これはこの作品に限らず、『男はつらいよ』シリーズ全作を通して変わらぬモチーフとなっている。
日本人もスゴいが、それをここまで正確に整合性の取れたストーリー構成で描き切っている山田洋次先生もスゴい。
近代日本の問題点
最近の日本人がダメなのは、和の精神が通用しない場で、和の精神が通用しない相手に対して、和の精神をふりかざしたりするところ。
例えば政治家が外交で他国の言いなりになったりするのがそれにあたる。
それでいて、一般国民のあいだでは、西洋的な個人主義の台頭により、急速にこの「和の精神」「おもてなしの心」を失いつつある。
現代の日本には、この2つの相反する問題点が存在するのだ。
日本人のよいところは残しつつ、政治外交や海外の人とのビジネスなどは、相手の精神性を考慮に入れて賢く立ち回ればいいのであって、要はバランスの問題なのだ。
人間、長所は欠点であり、欠点は長所でもある。
私は損得勘定を主体とした個人主義の蔓延はいいことだとは思わないし、だからと言って、海外の人たちとの付き合いに無自覚な和の精神を当てはめるのも危険なことだと思う。
和の精神を日本人が理論的に自覚することで、言い方は悪いがようは、日本人としての特性を「おいしいとこどり」する工夫をしていけばいいだけの話しなのだ。
そのためには、こういう映画を見て、われわれ日本人自身がわれわれの血の中にどんな気質が潜んでいるのか、それを客観的に理解することが大事だと思うのである。
まとめ
私はこの映画が描いたような「和の精神」「おもてなしの心」は正しい形で継承していかなければならないと思うし、そのためにもこの映画はより広く現代そして未来の日本人に見られて然るべき傑作なのではないかと思う。
ちなみにこの作品を寅さんシリーズの最高傑作と言う人がいるようだが、ぜんぜん最高傑作ではない。
寅さんシリーズにはこのレベルの最高傑作が芋を洗うようにゴロゴロ存在する。
この程度の、と言ったら語弊があるが、この程度の大傑作でシリーズ最高傑作などと、『男はつらいよ』の名が廃ると言うもの。
評価
ストーリーは素晴らしいし、マドンナの太地喜和子も魅力的でよかった。
★★★★★
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