作品データ
原題:Dead to Me (Season1)
監督:エイミー・ヨーク・ルビン、ジータ・パテル、エイブ・シルビア、他
脚本:リズ・フェルドマン、エイブ・シルビア、アンソニー・キング、他
出演:クリスティナ・アップルゲイト、リンダ・カーデリーニ、ジェームズ・マースデン、マックス・ジェンキンス、サム・マッカーシー、エドワード・アズナー
制作:2019年、アメリカ
あらすじ(ネタバレなし)
ジェンの夫が交通事故で死亡する。
怒りと悲しみと激しい喪失感に苛まれるなか、ある日、ジェンはジュディという女性と知り合う。
明るく風変わりなジュディは、ジェンと同じく夫を事故で失っていたのだった。
ふたりは友情を育むが、ジュディにはとんでもない秘密があった。
『デッド・トゥ・ミー 〜さようならの裏に〜』の感想
大好きなコメディ女優クリスティナ・アップルゲイト主演ということで、ずっと楽しみにしていた。
しかしフタを開けてみたら、コメディというよりはサスペンス風味のドラマにちょっとブラックコメディがまぶされている感じ。
クレジットを見たら、アップルゲイトが製作のひとりに名を連ねている。
製作陣に加わっていながら、もっと自分のコメディエンヌとしての才能を生かしきれる題材を選べなかったのかね。
自分がどれだけコメディの天才なのか自覚がないのかしらん。
まあでも、こういうのがやりたかったのね。
ファンとしては付き合わねばなるまい。
それに、おもしろかったら結果オーライ。
さて、タイトルの「Dead to Me」とは、どういう意味か?
「わたしにとっての死」
もしくは
「わたしにしてみれば死」
あるいは
「死をわたしへ」
それとも
「わたしに死を」???
英熟語としては「あなたとはもう2度と会いたくないわ(私にとってあなたは死んだと同じこと)」と言う意味らしいが。
第1話を見た限りでは、「わたしんところの死」といった感じっぽい。
お目当てのクリスティナ・アップルゲイトは、かなりイイ。
いつものコメディ演技なしでも、彼女の魅力は最高に伝わってくる。
気の強い役どころが至極合ってるね。
↓ここから先はネタバレあり↓
ジュディがひき逃げ犯だということは第1話の途中で容易に予想がついた。
第1話の途中で、ジェンがジュディの家にサプライズで向かうときに、電話の向こうでジュディが「まずい」という表情をするシーンがある。
ジュディがひき逃げ犯だということがバレるのかと思ったら違って、ジュディの「自分の夫は死んだ」という嘘がバレる、というくだりがくる。
そこから十数分遅れて、ジュディがひき逃げ犯だという事実は第1話の最後で明かされる。
こういう、途中でいったんカマかけてくるところが逆に「なんだ、やっぱりそうなんじゃん」と思わせられて、ちょっとテンション下がった。
ここ数年アメリカのドラマをよく見るようになって、アメリカのドラマの手口がだんだんわかってきた。
そして、このドラマはそういった典型的な手口にのっとりすぎた展開が多すぎ。
そこがいちいち萎えさせる。
他にも例えばジュディが秘密を打ち明けた紙を風船に入れて飛ばし、そのあとで風船がひとつ落ちてきて、ジェンの前にやってくるところ。
ジェンがその風船の中を開くと、ジュディの書いたものではない紙が出てくる。
ここなんか、まだこの段階ではジュディの秘密はバラさないだろうと思って私は見ていたから、「ああ、またその手でくるのね」とシラけるだけだった。
倉庫から車が無くなっているところなんかもそう。
これらみんな、ことごとくここ数年で見飽きた、アメリカのドラマがよくやる視聴者の意表を突く常套手段で、さらにその上を期待してしまう自分がいる。
しかし先が読めてもいい作品はやっぱりイイと思うものだから、仕掛けの問題ばかりじゃないのかなあ。

ジュディ(リンダ・カーデリーニ)とジェン(クリスティナ・アップルゲイト)
出典:imdb
それにこのドラマ、そもそもプロット自体がつまらない。
ひき逃げ犯が、贖罪の気持ちに苛まれてその遺族に近づき、心の埋め合わせをしようとする。
そんなネタで10話のドラマをどうやって盛り上げていく気なんだともう序盤は不安しかなかった。
中盤の第4話あたりまでくると、設定が折り重なってきて、ちょっとはストーリーに興味がわいてきた。
やはり基本プロットがどうしようもないので、前のめりにまではなれなかったが、それでもこのネタにしてはかなり目一杯、盛り上げた方だと思う。
とくにジュディの心理のうつりかわりに注目して見ていると、このドラマは多少なりともおもしろい。
最初はチンケな人間だったジュディが、ジェンが人の車を壊した罪を被ったり、ジェンの元旦那が嘘をついて浮気をしていたことを知ったりするにつれて、だんだん堂々としてくるところが凄まじい。
たかが車を壊した罪を被るくらいで、ジェンの犯した罪がチャラになるわけもない。
それに、自分の犯した罪とジェンの元旦那の罪は別次元の話だ。
人間の精神というのは、かくも都合よく出来ているものなのだな。
まるで別のパズルのピースを、ただ形が似ているからというだけで持ってきて当てはめて、崩壊以外に出口のありえなかった贖罪の迷路から解放されたような気になっている。
その中心には人間性の醜さが隠れているが、歪んだ正当性に支えられ、堂々としてくるジュディの姿は清々しくもある。
そこでいつのまにかジュディに感情移入して見てしまっている自分に気がつくのだ。
このドラマ、題材はダメだし、意表のつきかたもミエミエだが、とにかく心理だけはよく描けている。
結局、ジュディの心理のうつりかわりを追いながら、彼女がひき逃げ犯である事実はどのようなタイミングでどうバレるのか、その興味だけでずっとドラマが引っ張られている印象。
なんとなく私の予想では、最終話の最後のシーンでバレる、みたいな展開を予想していた。
ところが、意外にも最終話手前の第9話のラストでバレた。
ここからどう盛り上げてまとめるのかと思ったら、最後はジェンがジュディの旦那さんを殺す、という結末。
なるほど、「おあいこ」ってことなのね。
うまくまとめたなあ、というのが素直な感想。
まったく悪くない。
あまりおもしろいドラマじゃなかったが、最後の後味はよかった。
それにこのまま打ち切られても、はたまた、シーズン2が制作されることになってもいいように、微妙なところで終わらせているところもうまい。

いろいろな意味で微妙なこのふたり(出典:imdb)
問題は、ジェンとジュディの奇妙な友情がこのドラマの焦点なのだが、ここがあまりインパクトなかったこと。
というのも、見ている私は、ジュディがひき逃げ犯であることを知っているので、ジュディがジェンに近づいたのは極めて偽善的な動機だという印象は最後まで根底から揺るがないからだ。
だからふたりの友情が壊れ、それが最後に回復する兆しをみせるところで、さっぱり感動につながらず、ちょっとした距離感を保ったまま見てしまうのである。
だからうまくまとめたなあ、とは思えても、よかった!とはならないのは当然である。
こないだ『アメリカン・ホラー・ストーリー』のシーズン3を見ていて、同じことを感じたが、アメリカ人って、何か悪いことをしてしまったとき、自分で自分を許したいがために、頼まれてもいない相手不在の偽善行為をして、かえって自体を悪くする、ということをよくする。
これってドラマの中だけのことなのかしら。
それともアメリカのリアリティなんだろうか。
私は個人的にこういう心理がまったくわからない。
何か悪いことが起きたら、考えるべきは相手の気持ちであって、自分で自分を許すために何か行動を起こすなんて、なんだか不思議な動機である。
と、ここまで書いて、もうひとつこのドラマの問題点に気がついた。
このドラマ、ジュディの偽善行為が最後に少なからず「報われる」雰囲気になっているところがキモチワルイのだ。
それだ。
大好きなクリスティナ・アップルゲイトが出ている以上、シーズン2が制作されたら見ないわけにはいかないから、なるべくこれで打ち切って欲しいというのが本音。
評価
アップルゲイトはもっとド真ん中のコメディをやってほしい。
★★★★★
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